〈指導死〉公正な原因究明のために~高美が丘中学の事例に学ぶ~
【1】 学校内“不祥事”の隠し方
学校内で、体罰・子どものいじめ自殺・指導死・教員によるわいせつ行為などの不祥事があった時に、学校は、(例1)~(例3)のような“業界用語”で、それら不祥事の公表や再発防止のための事実調査をせずに済まそうとする。
(例1)関係機関による捜査が進んでいる最中なので〔コメントは差し控えたい〕
(例2)係争中でもあるので〔 同 上 〕
(例3)ご遺族の心情に配慮して/プライバシーの問題もあるので〔 同 上 〕
特に、私たちが気をつけなければいけないのは、「事実の公表」と「実名の公表」とを混同して、(例3)のような言い回しを何となく許してしまうことだ。
「いじめ自殺」や「指導死」などがあった場合に、亡くなった子どもが特定される形での発表や説明は「プライバシーの問題」に抵触するおそれがある。しかし、ある学校で教師らの“指導”直後に生徒が公園で首をつって自殺したというような場合、事実そのものは公表され、自殺の原因究明が迅速かつ公正にされなければならない。そして原因究明等の結果のみをブランクのあとに公表するのではなく、調査方法や途中経過、そして調査結果が出るまでの見通しも(プライバシーに十分配慮した上で)その都度おおやけにされる必要がある。
近年の新聞報道なども、一部で批判もあるものの、〈事実の公表〉と〈プライバシーの保護〉とのバランスをとろうとする努力のあとがうかがえる。以前は、火災事故、傷害事件など不慮の事件・事故で被害者(被災者)の実名がわりあいオープンに報道されていたが、近年は性別と年齢のみの報道も多く、匿名報道がむしろ増えて来ている。
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ついでに言えば、(例1)(例2)のような常套句(じょうとうく)を学校関係者はするが、では「捜査が終わってから」「判決が出たあとに」コメントをするかと言えば、そういう時に改めて学校に出向くと、こう言って彼らは口をつぐんでしまう。
「すでに裁判も終結しました。あの判決文の以上でも以下でもありません」
「すでに捜査は終わりましたので、特にコメントすることはありません」
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要は、裁判中であろうと裁判後であろうと、不都合なことにはふれたくないということだ。しかしながら、上記のような、体罰・子どものいじめ自殺・指導死・教員によるわいせつ行為等で、最初から最後まで学校がだんまりを貫くことはしにくい。その際に、よく使われて来た手法に次のようなものがある。
〔1〕保護者を対象にした説明会
ここでのポイントは、「説明会のお知らせ」は文書(プリント)で在校生に配るが、「説明会」では、文書は一切配らず、すべて口頭で説明することと、説明会をなるべく父親の参加しにくい(且つ母親も参加しにくい)平日の夕方~夕食の時間帯に開くということだ。こうしておけば、「学校としては、保護者の方を対象に、説明会を開いて、来て下さった方にはじゅうぶんに説明し、ご理解頂けました/説明会に出る・出ないは各ご家庭の判断です」とあとから言うことができる。また、学校の説明会は直後に1回のみが多いが、たとえば在学生が自殺した3日後の説明会で、何が“説明”できるというのだろうか。
〔2〕PTA役員会での説明と了承
学校で起きた不祥事に対して、平日・夕食時の時間帯での説明会に出られない保護者がいた場合、そこでの説明会資料があれば「情報格差」はある程度埋められる。しかし、学校の開くこの手の説明会では、ほぼ100%、説明は口頭で行われ、“証拠”は残されない。学校側の説明責任の果たし方が十分でないことについて、〔1〕とあわせて学校がよく用いるのが「PTA役員会でも、じゅうぶんに学校長から説明し承認を得ている」という言い方だ。
「…PTA…役員会(あるいは総会)…学校長から…説明し…承認を得ている」――こうした単語が並ぶと、何とはなしに学校が一定の手続きのもとに事態(不祥事)に対して説明責任を果たしたかのような印象も受けるが、実は、ここにひとつの落とし穴〔死角〕がある。
PTAというのは、在籍する児童・生徒の保護者で構成される任意団体であり、語弊を恐れずに書けば、「平日の昼間に時間的余裕があり、“教育熱心”で学校に好意的な専業主婦のご婦人がたの集まり」である。一部の親は、〈PTA役員〉として学校で教職員と一緒に何かの作業ができることに自己満足的な虚栄心をくすぐられ、〈PTA会長〉なる名誉職に就けば、入学・卒業式には略礼服に大きな胸章(リボン)をつけてもらい、簡単な式辞を在校生・保護者を前に述べることもできる。学校は、PTA役員やPTA会長にそれなりの厚遇を与え、その一方で、学校長から言いにくいこと(=プリントにして各家庭に配布しにくいこと)は、PTA会長名で「PTAだより」として全家庭にプリントが配られたりする。
大事なことは、PTA活動には何の法的な裏づけもなく、位置づけとしては「地域のサークル」と何ら変わりがないということだ。その任意団体であるPTAが、学校と阿吽(あうん)の呼吸で、時に学校の防波堤としての役割を果たしている現状がある。
〔3〕新たな隠れ蓑(かくれみの)、「第三者委員会」
ここに来て、子どもの「いじめ自殺」や「指導死」の事例で、よく耳にするようになった組織として、「第三者委員会」なるものがある。名称は「第三者委員会」、「調査委員会」、「外部委員会」、「有識者による調査チーム」と様々であるが、問題は、それらの委員会やチームが学校の不祥事隠しに利用されやすいということである。以下、【2】でその理由と、【3】でそれに対抗する方法を提案する。
【2】 何の法的根拠の無い「第三者委員会/調査チーム」
学校での教育活動にかかわる組織や制度には、かならず法的裏づけがともなう。学校の校長、教諭らは「教育基本法」「学校教育法」「学校教育法施行規則」「地方公務員法」「児童虐待防止法」…といった各種法令や学習指導要領、文部科学省からの「通知」等にしばられる。たとえば、「児童虐待防止法」では、学校の教職員に早期発見義務(5条1項)や通告義務(6条1項)が課せられているし、学校長は「非常変災その他急迫の事情があるとき」に限り、学校を臨時休業にすることができる(学教法施規63条)。
現場で働く教職員以外でも、教育委員会については「地方教育行政法(地行法)」に、学校評議員は「学校教育法施行規則(49条)」、学校運営協議会に関しては「地行法・47条の5」にそれぞれ規定があるから、教育委員会も学校評議員も学校運営委員会も、それぞれの法の規定に従わなくてはならず、そのことで一定の公正さが担保されている。
ところが、PTAと同様に、何らの法的根拠の無い“チーム”が、「調査委員会/有識者による調査チーム」といった名称の、人の集まりである。
たとえば、今年10月29日に、教員からの“指導”直後に、男子生徒が公園で首つり自殺をした東広島市立高美が丘中学校の場合、東広島市教育委員会に問い合わせてみると、今月12月7日に初会合(非公開)がもたれた「調査委員会(委員…6名)」とは次のような集まりであることがわかった。
◎「調査委員会」は通年設置のものではなく、その都度必要に応じて立ち上げるものである。
◎その立ち上げ方、即ち、委員の人選法、委員会の開催回数、公開/非公開の決定手順などは、市の条例や教育委員会の規則として、以前から定められてはいない。
◎市の教育委員会で立ち上げる必要を感じたら、適宜「調査委員会設置要綱」といったものを市教委内で作り、人選を進め、あとはその委員会で適当に(調査や討議を)進めてもらう。
電話口で取材に応じた担当者は、「人選に当たっては、公正さが保たれるように注意してはいる」と答えたが、客観的に見れば、こうした「調査委員会/有識者による調査チーム」に公正さが期待できないのは自明の理だ。
これまでも、一部の学校では、説明責任を果たしていないことへの批判に対し、「すでに、保護者を対象に説明会を開いて、今回の事件について説明済みです」「PTAの役員会でも、了承を得ています」と抗弁することが多かった。
平日・非公開・文書を配布しない口頭だけの“説明会”、PTAという学校の意向を汲んで発言する“ダミー組織”――こうした不祥事隠ぺいのためのこれまでの手法に加えて、一部の「調査委員会/有識者による調査チーム」が不祥事隠ぺいのための第3の手法であるとの揶揄(やゆ)が聞かれるのも、もっともかもしれない。
【3】 親の《知る権利》のための法律 ~平成19年の法改正~
「調査委員会/有識者による調査チーム」といった“任意団体”に、ある種の不安や危険性を感じたら、被害者の立場にある生徒・保護者・遺族らは、どのように対抗すればよいのだろうか。
その有力な対抗手段が、平成19年に行なわれた「学校教育法」の改正だ。その43条に、次のような規定が加えられたのである。
学校教育法・第43条 ―学校運営情報提供義務―
「小学校は、当該小学校に関する保護者及び地域住民その他の関係者の理解を深めるとともに、これらの者との連携及び協力の推進に資するため、当該小学校の教育活動その他の学校運営の状況に関する情報を積極的に提供するものとする」
※本条文は中学校、高校、特別支援学校等にも準用される
今回の高美が丘中学校の男子生徒自殺に関して、東広島市教育委員会や高美が丘中の下森憲治校長、湊(みなと)和昭教頭ら、かなり多くの関係者に電話で取材したが、「平成19年の学校教育法改正」と言って、第43条の条文をすぐに思いついた関係者は皆無であった。法律の改正については、平素知る機会が少ないので、そのこと自体はいまは措(お)く。
けれども、学校教育法・43条を読んだ上で高美が丘中学のウェブサイトを見ると、ある奇妙なことについて思い至るはずだ。
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それは、同中の生徒に関する新聞記事や活動報告はさかんに紹介(引用)されているのに、2012年10月29日に男子生徒が教師からの“指導”の後に、公園で首つり自殺をしたことは、ひとこともふれられていないことだ。これでは、「高美が丘中は、ウェブサイトで学校をよく見せかけることには熱心で、学校にとって不都合なことは一切おもてに出そうとしていない」との批判があって当然だろう。
実際、地元紙は、11月1日にひらかれた学校説明会での保護者からの不満や批判を次のように伝えている。
「説明会は約200人が参加し、非公開で約2時間あった。校長(54)は『亡くなられたことは大変申し訳ない』などと陳謝して経緯を説明。生徒の両親も出席し『生徒に対する配慮に欠け、指導方法にも問題があったのでは』などと指摘した。別の保護者男性は『説明が足りない。不信感が募る』と不満そうだった。」(2012年11月2日付中国新聞より一部引用)
生徒が自殺してわずか3日後の説明会では、「説明が足りない、不信感が募る」との声が聞かれて当然である。そして、その声は説明会を開いた学校長に向けられたものだ。
広島市教育委員会が調査委員会を立ち上げることには「政治的なポーズである」「幕引きのためのセレモニーである」等の声も聞こえる。単なる「ポーズ」か「セレモニー」であるかは今後を見守るとして、それとは別に、学校長にはやるべきことがある。
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それは、広島市教育委員会が呼び集めた“有識者”らに、調査を〈まる投げ〉することではなく、法令―すなわち学校教育法43条―に従って、
○在校生が自殺に至った経緯
○自殺までの経緯を調べる中で明らかになった、指導上改善すべき事項
○平成25年4月以降の、生徒指導に関する具体的な変更点
などを、ウェブサイトを通じて公表することこそ、いま学校長に求められていることであり、それが法令に従った職務でもある。さらに言えば、そういう時にこそ、PTAという組織をおおいに活用し、全保護者から、今回の事例やふだんの生徒指導のあり方について意見を募るのが〈ひらかれた学校〉としての望ましいあり方であろう。
「第三者委員会に調査を〈まる投げ〉ですか?」という、こちらからの質問に気色ばんだ学校関係者がいた。しかし、学校が継続的な事実調査も原因究明もせずに「第三者委員会の調査を待つ」だけでは、〈まる投げ〉と言われても仕方ないのではないか。ちなみに、学校教育法の43条とともにつけ加えられた42条は〔学校運営評価〕に関する条文であるが、そこでは、学校(の教職員)が、それぞれの学校の「教育活動その他学校運営の状況について評価を行い、その結果に基づき学校運営の改善を図るため必要な措置を講ずる」とされている。
そうだとすれば、今回の男子生徒の自殺についても、上記(1)男子生徒が自殺に至った経緯、(2)自殺までの経緯を調べる中で明らかになった、指導上改善すべき事項、(3)平成25年4月以降の、生徒指導に関する具体的な変更点を、市教委とは別に、学校(下森校長)が公表することこそ、法令にかなった措置のはずだ。
その上で、学校による事実解明や報告内容について、人選について遺族らが了解し、広島市教育委員会による“第三者委員会”が検討・評価するというのならわかる。しかし、肝心の法令(学校教育法43条)に定められた義務(=学校運営状況提供義務)を果たさずに、学校長が市教委に対して、“おんぶにだっこ”では、「無責任」とのそしりは免れ得ない。
【4】 なぜ調査結果報告が来年3月なのか?
今回の高美が丘中学の男子生徒自殺(2012.10.29)を受けて設置された調査委員会は、2013年の3月末をめどに報告書をまとめるという。
ある学校関係者に聞くと、学校内不祥事に関する説明会やその後の異動については、一定の法則性がみてとれるらしい。
例:説明会は、土曜日や日曜日には絶対に開かない(→企業による謝罪会見は、土日会見もふつうにある。週末に開くと参加者が増えてしまう)
例:説明会は、平日の就業時間内か、あるいは夕食の時間帯にする(→この時間帯であれば、小さい子のいる家庭では母親は出て来られない、同じく残業で遅くなる父親も出席できない)
例:問題を起こした教員は、必ず次年度、他校に異動させる(→この手の異動を何回か繰り返すことで、特定教員の問題行動や性癖が露見しにくくなる)。
例:問題のあった学校の校長も、次年度他校に異動させる(→関係教員と学校長がいなくなることで、保護者からの責任追及がしにくくなる)
今回の広島市教育委員会による調査委員会の設置とその後の動きを見て、その学校関係者は次のようにつけ加えた。
「これ、どういうことかわかりますか?調査委員会は、調査結果を2013年の3月をめどに取りまとめると言っています。3月――その時期は学年末の異動の時期です。高美が丘中学では、下森校長と自殺した男子生徒の指導に直接かかわった教諭らは、おそらく4月に他校に異動になるでしょう。」
「だから、3月に調査結果を出したところで、学校長と関係の教員が翌月にいなくなるのであれば、それっきりですね。今回の男子生徒の指導にかかわった教諭らが、その学校にとどまって高美が丘中学をよくしていく、男子生徒の死を次年度の生徒指導に生かしていくというのならわかりますが…。これでは、調査委員会なるものは、事件に幕引きをするための、ある種のセレモニーになるおそれがあります。」
「来年3月まで、調査結果を引き延ばすのは、異動までの単なる時間稼ぎでしょう。だって、4月になれば、もう学校長も指導した教諭らはおそらく高美が丘中学にはいないでしょうから。男子生徒のいた学年は、4月には中学3年生。たぶん、新しい指導体制で熱心に“進学ガイダンス”が開かれるでしょう。みごとな連係プレー、推理小説で言う“完全犯罪”というやつでしょうか。」
その“完全犯罪”を防ぐには、学校教育法43条に基づいて、市教委の調査委員会とは別に、学校としての説明責任を果たすように、在学生や保護者、地域の人たちが働きかけをしていくことだ。年によって年間200名とも300名とも言われる子どもたちの自殺を食い止めるには、今回のような学校関係者らの巧妙な責任逃れの構図を壊していくしかない。
(了)