〈指導死〉 教師の暴力から子どもを守るために
2012年12月下旬、大阪市立桜宮高校(佐藤芳弘校長)でバスケ部の顧問教諭が練習試合のミスに怒って男子生徒の顔面を30~40発殴り、翌日、その男子生徒が自宅で自ら命を絶つという痛ましい事件があった。
この暴力事件は、部活動という閉鎖的な環境、日本の中学・高校でのまちがった勝利至上主義、暴力行為に対する周囲の感覚の麻痺、そして暴力行為への通報に対する学校側のもみ消し等、多くの問題を孕(はら)んでいる。今後、事実が解明されていくと思われるが、暴力根絶のために、法制度の整備、公益通報窓口の設置などについて、必要最低限のことを以下に提言する。
1 教師による“児童虐待”への法整備を!
いわゆる〈児童虐待〉は、それに関する法律が無くても、暴行罪、傷害罪などでも対応は可能である。しかし、〈児童虐待〉が人目につかない場所で起こりやすいこと、被害を受ける児童が社会的にも弱い立場にあることもあり、2000(平成12)年に「児童虐待の防止に関する法律(児童虐待防止法)」が成立した(注:同法に言う「児童」とは、18歳に満たない者を指す)。
成立当初は、同法は、暴力・わいせつな行為・ネグレクト・心理的な外傷を与える言動の4つに〈児童虐待〉を分類するのみで不備も見られたが、その後数回の改正を経て、条文そのものはかなり現実に即したものになっている。
そして、同法では、学校の教職員等に早期発見の努力義務が課され(第5条1項)、児童虐待を受けたと思われる児童を発見した教職員や児童福祉施設の職員、医師等は速やかに福祉事務所または児童相談所に通告しなければいけない(第6条1項)。また、都道府県知事は、児童虐待の可能性のある保護者に対して児童を同伴して出頭することを求め、児童相談所の職員等に必要な調査または質問をさせることもできる(第8条の2)。さらに出頭要請に保護者が応じない場合は立ち入り調査も可能であるし(第8条の2、第9条)、裁判所の許可状によって、児童の福祉に従事する者によって、臨検・捜索を都道府県知事はさせることもできる(第9条の3)。実際に、その件数が減っているかは別にして、〈児童虐待〉に関しては、この10年余りでかなり手厚く法整備はされて来たといえる。
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ひるがえって、教員による“児童虐待”の現状はどうであろうか?
○ 児童・生徒への殴る、蹴るの暴行
○ 児童・生徒へのわいせつな行為
○ 「いじめ」を受けている児童・生徒からの訴えの無視や放置
○ 「おまえなんて居なくていい」といった、児童・生徒に心理的外傷を与えるような言動
○ 特定の児童・生徒への差別的対応(えこひいき)
○ 上記行為の、同僚教師らの黙認
○ 上記行為の、学校をあげての虚偽報告(隠ぺい)
○ “虐待”を繰り返す教師を異動させることによる、上記行為の隠ぺい
――こうしたことが放置されたままになっているのが学校の実情ではないだろうか。つまり、“児童虐待”に相当する行為を個々の教員はしやすいし、まわりも止めにくい、匿名で暴行等の情報が寄せられても学校は形だけの聞き取りをして教育委員会に「暴行はなかった」と報告する。教育委員会もそれを鵜呑みにして、幕引きをする。
今回、自殺した男子生徒が、顧問教諭に手紙を書いていたが、渡さなかった(正確には「渡せなかった」)との報道があった。当然だろう。副顧問ですら何も言えない〔注:後述〕顧問の暴行に、どうして当の被害者が「やめてくれ」と正面切って言えるだろうか。
もちろん、手紙を渡すことはできるだろう。しかし、渡したところで顧問教諭の対応は目に見えている。
「いやならやめろ」
「みんなおまえたちの先輩もこうやってうまくなって来たんだ」
「オレはおまえに期待しているから、ビンタもするんだ」
あるいは、何も言わずに次の日からさらに過酷な練習メニューがその生徒だけに課されるか、逆に、もう2度と試合で使ってもらえなくなるか、いずれにせよ、生徒が指導的立場の教員に何か言ったところで、事態は悪くなるだけである。
このような“児童虐待”が野放しの学校現場で必要なことは、児童虐待防止法と同様の法整備であることは明らかだ。同法は成立から10年あまりで実状に即して改正されて来ているが、いかんせん、その適用を受けるのは、保護者(親権を行う者、未成年後見人など)に限られている。
しかし、今からでも遅くはない。「児童虐待防止法」によって家庭での暴行・わいせつな行為・ネグレクト・心理的外傷を与えるような言動を禁止するように、法令の改正もしくは創設によって学校での教師によるそうした行為もはっきりと禁止したり通告義務をほかの教員に課したりすることが、今回のような事件の再発防止には欠かせないだろう。
2 文部科学省から通知を!
2007(平成19)年2月5日、文部科学省から「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」という通知が各教育委員会宛てに出された。
「いじめ、校内暴力をはじめとした児童生徒の問題行動は、依然として極めて深刻な状況にあります。いじめにより児童生徒が自らの命を絶つという痛ましい事件が相次いでおり、児童生徒の安心・安全について国民間に不安がひろがっています」
こんな文章を冒頭に掲げた同通知の特筆すべきは、1948(昭和23)年12月22日付の「児童懲戒権の限界について」を見直したことだ。その間の事情について同通知は次のように書いている。
「教育委員会や学校でも、これらを参考として指導を行ってきた。しかし、児童生徒の問題行動は学校のみならず社会問題となっており、学校が問題行動に適切に対応し、生徒指導の一層の充実を図ることができるよう、文部科学省としては、懲戒及び体罰に関する裁判例の動向等も踏まえ、今般『学校教育法11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方』を取りまとめた。懲戒・体罰に関する解釈・運用については、今後、この『考え方』によることとする」
つまり、いささか時代に合わなくなってきた古い基準(1948年12月22日付)を見直して、現場で対応しやすくしようというのが、2007年通知の趣旨である。同通知では、犯罪行為の可能性がある場合には「直ちに警察に通報し、その協力を得て対応する」とされ、条件付ではあるが授業態度の悪い児童生徒を、罰(=ペナルティー、懲戒)として教室外に出すこと等も認めている。
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2012年10月には東広島市立高美が丘中学で、そして12月には大阪市立桜宮高校で、それぞれ「指導死」と思われる生徒の自殺があった。
文部科学省の2007年2月5日付通知の文章は、本当は次のように言うべきだったのかもしれない。
「教師の暴力、暴言等による児童生徒の自殺は、依然として極めて深刻な状況にあります。教師の指導(含 暴力)により児童生徒が自らの命を絶つという痛ましい事件が相次いでおり、児童生徒の安心・安全について国民間に不安がひろがっています」
そうだとすれば、文部科学省は、2007年通知に加えて今度は教師の行き過ぎた指導や暴力を厳に戒める旨の通知を早急に出すべきである。
3 教育委員会の「懲戒基準」の見直しを!
各都道府県や市町村の教育委員会は、それぞれ独自に「懲戒基準」や「懲戒事案の公表基準」を定めている。たとえば、飲酒運転による人身事故は懲戒免職、物損事故は停職○ケ月という具合である。その起こした不祥事の度合いによって氏名が公表されるかどうかも違ってくる。
今回のような学校内の暴力行為で生徒が死に至るような事例も、「指導死」として全国的にしかもかなり以前から報告されているのだから、自殺に至るか至らないかは別にして、そのような暴力行為は懲戒免職事案とすべきだろう。
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一般社会で顔が腫れて唇が切れるほど殴れば、それは直ちに傷害罪で逮捕されるし、それが常習化していれば実刑で刑務所に収監される。あとからの言い訳で「発奮させるため」と今回の顧問教諭は言ったそうだが、指導者を名乗るならば、どうすれば次回の試合でうまくプレイできるかじょうずにアドバイスしてやり「そのアドバイスを早く試合で試してみたい」と生徒にその気にさせること――それが“発奮”ではないのか。
以前、柔道事故を取材の際に、ある教諭から「自分は試合後にあーだこーだと生徒に口うるさく言うのはやめた。なぜなら、試合後に言うなら、それを試合前に言ってやるのが指導者の務めだからだ」という趣旨のことを聞いたことがある(→下記《関連記事》参照)。
そういう指導者の心構えを聞くと、練習試合でのミスを生徒の顔を殴って改めさせようというのは、ごくふつうに考えると狂気の沙汰としか思えない。スポーツでは、試合前に選手本人が自分で顔を両手で軽く叩いて気分を集中させたり、指導者が肩や背中を叩いて選手を試合場に送り出したりする場面を見かけることはあるし、それは社会的に許容されている。だが、それらのことと「他人が誰かの顔面を殴ってやる気にさせる」のとは、まったく違う。
4 公益通報窓口の設置を!
今回の大阪市立桜宮高校のバスケ部男子生徒の自殺では、前日(12月22日)の顧問教諭による暴力について目撃していた20代の男性講師は次のように答えている。――「顧問は恩師であり、口出しできなかった」
このことは今回のケースに限らない。学校現場は狭い社会である。校長と教員の関係もそうだし、教育委員会の指導課の担当者とある学校の校長とが、かつての同じ中学校の同僚だったということもよくある話だ。だから、本来は学校を監督する立場にある教育委員会が、学校と一緒に、教員の不祥事をもみ消そうとするのは、その意味からすれば無理からぬところもある。さらに退職した校長の再就職先が、教育委員会の嘱託ということもざらだ。
だから、学校現場での不祥事を通報する窓口は、絶対にそういう人間関係から離れたところに作らなければいけない。はじめに挙げた「児童虐待防止法」での教職員の通告先もそうだ。「虐待を受けたと思われる児童の親戚宅」を通報先にしようものなら、通報の多くはもみ消されてしまうだろう。ある学校の不祥事を教育委員会に通報するというのはそれと似たところがある。
したがって、部活動等での教員からの暴力は、文部科学省のどこか、たとえば初等中等教育局内に担当の部署を作って、まずはそこで対応することから始めるべきだろう。文部科学省は、今回の事例に限らず、〈指導死〉の問題を、高みの見物していてはいけない。
5 私たちの意識改革を!
最後にいちばん大切なことを書く。それは私たち一人ひとりの意識改革だ。
さきのバスケ部副顧問、そしてもう一人、非常勤の女性講師、ともに暴力をふるっていた顧問教諭のことを「指導の中の行為で、止められなかった。素晴らしい指導をしている先生で意見は言えなかった」という旨のことを話している。
本当にそうだろうか――。顧問教諭のやったことは「指導の中の行為」なのだろうか。そうではなく「指導から外れた行為」ではないのか。本来は笑顔で指導者としての冷静さや落ち着きをもって次回試合が楽しみになるように(→つまり、これが「発奮する/やる気にさせる」ということである)的確に上達するための助言をしてやることが「指導」のはずだ。
そういう「指導」をするべき人間が、私憤にかられて腹いせに生徒の顔を殴ることが指導なのか?人は殴られて発奮するのなら、どこの企業であれ経営者は部下を殴ってよいことになる。保護者もやる気のない担任に発奮してもらうために殴ればよいのだろうか。
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「指導中に殴った」ということは事実かもしれないが、〈殴る〉行為は「指導」ではない。たとえば、手術中の医師が患者に「生きる気力を持ってもらうために/やる気を出してもらうために」手術台に横たわる患者の体にメスを突き立てたとしたら、その行為自体は手術(医療行為)ではない。たとえ、その医師が自分の恩師だとしても横で見ている若手医師は「何をするんですか!」と驚いて制止するだろう。
そして、これは実話だが、少年らを職務質問中に、ピストルを抜いて銃口を彼らに向けた警察官がいた。「なめられないように」だったか「自覚を促すために」だったかは忘れたが、その行為も「職務質問中の行為」ではあるが「自覚を促すために、ピストルを抜いて少年らに向ける」ことは、本来の職務質問ではない。その瞬間に警察官は警官のあるべき姿を忘れて狂気に走ったのである。それと同じで「自覚を促すために、平手で生徒の顔面を何度も叩く」ことも職務(指導)であるはずがない。
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そして、もう一つ。顧問教諭の暴力行為を「体罰」と書いているメディアは多い。けれども、「体罰」とは、学校教育法11条で校長や教員に許された「懲戒」の、行き過ぎたものである。つまり、子どもが何か悪いことをして、それに対して教員が「教育上必要と認めるとき」に「しかる(懲戒を与える)」ことが許されているが、肉体的苦痛を伴う有形力の行使(例 殴る、蹴る、ほかに長時間の正座など)である「体罰」は禁止するというのが、11条の内容だ。
練習試合でミスをすることは、そこまで「懲戒」が必要なことだろうか。たとえば、試合会場で隠れてタバコを吸う、試合で不正行為をする…というならば、その子どもに「しかること(=懲戒)」も必要だろう。
しかし、「練習試合でうまくプレイできないこと」はよくあることだし、そういう「ミスプレイ」を何回か繰り返して本番でうまくできるようになるのが、どの競技にも共通する上達のプロセスだ。それに対して、助言、アドバイス、あるいは言って教え諭す形の「説諭(せつゆ)」ならわかるが、「懲戒」を加える等ということは、ビンタでなくとも不適切な行為ではないだろうか。
したがって、「殴る」という暴力行為に対して「バスケ部の顧問教諭が、指導中に体罰を加えた」と報道することは、かなり注意が必要である。「殴る」行為は、指導の方法として許されないし、懲戒を受けるような悪いことを、自殺した生徒はしていないはずだから、彼が受けたのは「体罰」でもない。
顧問教諭は、これまでもずっと練習での生徒のミスに逆上して、本来の指導をそっちのけにして、その場で生徒を殴って来たのである。それは「指導」ではないし、懲戒行為の好ましくない形である「体罰」でもない。大のおとなが、教師の本分も、社会的良識も忘れて、将来のある子どもを殴る――それは精神的に未熟なまま「よき指導者」とあがめたてまつられて来た“ベテラン教員”、内実は「裸の王様」の、単なる暴力行為でしかない。
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今回の痛ましい暴力事件から、私たちが学ぶべきは、まず何よりも子どもたちを守るべき私たちおとなが、〈熱血指導〉〈情熱的〉〈愛のムチ〉…そして〈体罰〉といったまちがった呪縛(洗脳)から解放され、良識をもって学校現場を見守り行動することであると痛切に感じる。
(了)