大分県:剣道部顧問による暴行致死事件(3) 17歳で逝った兄へ
2009年8月に大分県で起きた剣道部顧問による暴行致死事件――。亡くなった工藤剣太さん(享年17歳)の遺族を支援するための〈剣太の会〉が9月7日、初めて東京で開かれ、満席の会場の中で、父親の英士さん、弟の風音(かざと)さんらが、事件に対する思いを述べた。以下は、事件当日、兄・剣太さんへの暴行の一部始終を目撃した風音さんからの報告〔要旨〕である。
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剣道部〔注:大分県立竹田高校〕では、顧問〔注:当時46歳・保健体育科教諭〕による暴力が日常的にありました。それも、部員が面をつけていない状態で、(顧問が)木刀を逆さに持って木刀のかたい鍔(つば)の部分を部員の頭に当てて10回以上叩くこともありました。部員はそのために頭に瘤(こぶ)ができたり、防具の無いところを竹刀で叩かれてあざを作ったりと、顧問からの暴力はひどいものでした。
私の場合、鼻炎のために鼻で息ができず、口をひらいて呼吸をしていると、そのことが気に食わないのか、顔を両手で挟み込むような形で(両手で両頬を)叩かれることもありました。
2009年の夏〔注:8月10~13日〕に合宿があり、その時も練習中の記憶が飛ぶぐらいの稽古で、素振りを1000本、2000本とさせられるものでした。その合宿の直後に剣道部でもインフルエンザが出て、1週間の自宅待機(注:練習なし)となりました。自宅待機明けの練習では、顧問から「足が動かなくなるぐらい練習しろ」と指示が出ました。練習後に、兄が顧問に報告に行くと、「歩いてここまで来ることが出来たということは、『足が動かなくなるぐらい練習しろ』という指示が守られていない」ということで、顧問は兄に言いました。「じゃあ、あした(2009年8月22日)の練習おぼえちょけよ」
翌朝、前日の顧問の言葉もあり、朝から私たち剣道部員はピリピリしていました。「今日、先生怒っているけん、きびきび動けよ」とお互いに声をかけ合いました。
その時の練習は、いつもよりハードでした。兄はキャプテンなので、やはりその日も標的になりました。1週間(インフルエンザによる自宅待機で)練習が無かったこともあり、部員の中にはトイレで吐く者もいました。それでもトイレで吐いた部員は「どこへ行っていたのか!」と(トイレに行って吐いたことをとがめられて)顧問から木刀で尻を叩かれていました(注1)。
(注1) 当日の配布資料によれば、ある部員がトイレに吐きに行った前後に、ほかの部員1名が、打ち込んだあとに倒れてなかなか起き上がれなかった時に、顧問から(面の上から)こぶしで3発ほど殴られている。
部員が一度集められ、怒って感情の高ぶった顧問は、座っていたパイプ椅子を兄に投げつけたりもしました。兄はそれをよけたのですが、そのあとで顧問は兄の面の突き垂れの部分を手で持ち上げて首の部分を叩いたり、ずれた面を兄が直そうとすると「そうやって休むのか?」という言葉を顧問は投げかけて来たりしました。
その後、稽古が再開され、「顧問から抜けてよいと言われた者ははずれてよいという稽古」が始まりました(注2)。その時、すでに道場は36度ありました。兄が最後まで残り、ふらふらになりながら兄は言いました――「もう無理です」。
(注2) この日、顧問は「抜けてよいかどうか」を、ほかの部員による「挙手」制にしたが、剣太さんに“合格”の手を挙げた1年生部員に対して、顧問は「どこがいいんだ!」とその部員を責めた。そのために、他の部員も手を挙げられなくなったという。
小学校から剣道をやって来て、指導者に対して「もう無理です」と兄が指導者に言うのを聞いたのは、私はその時が初めてでした。すると、顧問は「おまえの目標は?」というような(その場にはそぐわない)ことを兄に問いかけました。兄が道場内をふらふらと歩いて壁があることに気づかず、そのままぶつかって倒れました(注3)。兄は壁にぶつかった時に(その時はすでに面を取っていたので)額を切って血を出していたのですが、顧問は「演技をするな!」と兄に馬乗りになり、額の血が飛ぶぐらいに往復ビンタをし始めました(注4)。顧問はあとで兄を殴ったことを「気つけ」のためと言っていましたが、見ている部員らは「ただの腹いせ」だと感じていました。
(注3) 「もう無理です」と言ってから壁にぶつかって倒れるまでの剣太さんの様子(資料より)
○ フラつき壁にぶち当たったり、ひざまずいたり座ったりを繰り返す(みんなで起こす)
○ 打ち込んだ後、動かなくなる
○ 違う方向を向いたまま動かずみんなで引っ張り向きを変えるが、動かない。打たなくなる。
○ 竹刀を払われ落とすが拾おうとせず、持っているかのような仕草をする。
○ 体が「く」の字に曲がるほどだったが、何とか踏みとどまり2~3歩行ったところで倒れる。その後ももがきうずくまる。
○ 顧問はふらつく剣太さんを歩いて来た勢いで蹴っている。その時のふるまいについて、顧問は裁判で「足の裏で押した」と答えた。
○ 剣太さんは、手をつかずに前のめりに倒れ、面の上から2回水をかけられて意識を戻す。そのあと面を取り、ふらふらと歩いて壁にぶつかる。
(注4) 風音さんが「額の血が飛ぶぐらいの往復ビンタ」を他の部員も、「ケガの出血が飛び散る勢いで」「首が飛ぶぐらい強く」と証言している。何も反応しなくなった剣太さんの様子は「目は見開き、白目をむいていた」、「死んでいるような目だった」という(証言より)。その後水を飲ませられるが、すべて嘔吐する。そういうことのあとで、顧問は剣太さんに以下の「救急車」発言をする。
意識の無くなった兄に、顧問は「じゃあ、救急車呼ぶか?」等と聞いており、私は何というバカなことを…と思いました。
兄が亡くなってから、(顧問の暴行を、その場に居ながら)止められなかった自分のことを何回も恨みました。事件後、剣道場にも行けず、教室にも行けなくなりました(注:のちに風音さんは別の高校に転学する)。
今でも、私には兄の最後の言葉が耳に残っています――「キャプテンやから、がんばるけん」。そう言った兄がすごいと思うし、兄の剣太だからこそ、あそこまで出来たのだと思います。兄は私にとっての誇りです。
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2009年8月22日、もし「あなた」がその場に居合わせていたら、剣太さんの亡くなった理由を〈事故〉と言うだろうか、それとも〈事件〉と言うだろうか。
剣太さんは、「熱中症」や「熱射病」で亡くなったのか、それとも剣太さんに何らかの責められるだけの〈非〉があって、誰が見ても「教育上必要」だから「懲戒」が加えられたのか。あるいは、剣太さん自身が友人に送ったメールで「先生がぶち切れている」と評したように、顧問が「キレテ理性を失った状態」で、「腹イセ」「八つ当たり」として暴行を加えたのか――。
一部の報道では、この暴行致死事件を「熱中症による死亡事故」とか「熱中症死」、「熱射病死」と書いている。こういう表記は、暴行致死事件の本質を隠す、たいへん危険な書き方である。なぜなら、「熱中症によって死亡」と書くことで、人々の注意が「熱中症」に向けられ、裁判等でも「当時はまだ熱中症に対する予見可能性が低かった」といった主張で、加害者本人の責任があいまいにされやすいからである(事実、当日の内田良名古屋大学大学院准教授からの発表でも、本事件の文部科学省への報告が〈暴行〉から〈熱中症〉に“すりかえられている”可能性のあることが指摘された)。
例1 Aさんが、ヤクザに刺されて、出血多量で死んだ。
例2 Kさんが、顧問に暴行されて(リンチを受けて)、熱中症で亡くなった。
例1のようなケースを、私たちは「出血多量死事故」と言うだろうか。ふつうは「ヤクザによる、刺殺事件」と言う。そうであるなら、剣太さんのケースも、「教師による、暴行致死事件」とか「教師による、リンチ虐殺事件」などと言うのが適切ではないだろうか。17歳という若さで“殺された”剣太さんの死を無駄にしないためにも、私たちは言葉の使い方にも慎重でありたい。
(続く)
《 備 考 》
(1)第8回「親の知る権利を求めるシンポジウム」
~いじめ防止対策推進法の施行で何が変わるのか~
〔日時〕2013年9月21日(土)13時30分~16時
〔場所〕人権教育啓発推進センター(港区芝大門2-10-12)
詳細はこちら⇒ http://www.gentle-h.net/index.html
(2)法政大学教職課程センターシンポジウム
「いじめ問題を考える~大学における教員養成の視点にたって~」
〔日時〕2013年10月2日(水)18時20分~20時45分
〔場所〕法大市ヶ谷キャンパス外濠校舎2階 ※事前申込必要 無料
(3)水戸啓明高等学校剣道部 高井竜也さん死亡事件 裁判
〔日時〕2013年10月16日(水)11時30分~
〔場所〕水戸地方裁判所
(4)学校事故・事件に関わる弁護士らによる全国大会
〔日時〕2013年11月17日(日)14時~
〔場所〕中央大学駿河台会館(東京・お茶の水)