それぞれの母親が語る、理不尽な息子の死 ―暴力根絶に向けて―
12月22日、東京で「スポーツ指導とハラスメント」をテーマにシンポジウム(「全国柔道事故被害者の会」主催)が開かれ、その中で、部活動での指導者の暴力によって息子を亡くした母親2人が登壇し、スポーツ指導での暴力の実態について語った。
以下は、工藤剣太さん(2009年8月22日死去、享年17歳、剣道部)と、村川康嗣(こうじ)さん(2009年8月24日死去、享年14歳、柔道部)の母親からの〈報告と提言〉である。
◇◆◇ 「指導」という名の“トリック”ワード ◇◆◇
2人の母親からの報告に先立って、柔道事故の実態について何年にもわたってデータを解析して来た名古屋大学大学院の内田良准教授が「『指導』という言葉は、“トリック”ワードだ」として、社会的に容認されないようなことでも、その行為に「指導」という言葉を使うことで、まかり通ってしまう危険性を指摘した。
それと同じく…「叩いたけれども、それは体罰ではない」というような言い方を内田准教授は紹介し、「暴行」「暴力」といった言葉で目の前の現実を把握する必要性を説いた。さらに、暴力である一定の方向に人を導くのではなく「言論による教育」「言論による人の成長」を目指すべきだとして、特にスポーツ界に根深い「暴力による“指導”」について警鐘を鳴らした。
◇◆◇ 工藤剣太さんの場合 ◇◆◇
本日は、このようにシンポジウムにお招きいただきありがとうございました。学校というのは、本来は、親が子どもを安心して預けることができる場所であるべきです。けれども、実際にはどうであったのか、今日は、学校で起きた、私たちの事例についてお話させていただきます。
2009年8月22日は、暑い日でした。息子の剣太は当時、高校2年生、剣道部の主将を務めていました。その日(注1)、剣太や部員たちは、練習が始まってからおよそ1時間後に1度だけ水分補給のための休憩をとりました。その時、息子たちは、その休憩のあとにもう一回休憩があるだろうと思い、また水を飲み過ぎると動きが悪くなるということで顧問教諭から怒られるのを恐れて、最低限の水を飲んだだけでした。しかし、実際には、息子が倒れるまでの1時間半の間に、2回目の休憩はありませんでした。
(注1)8月22日の前日に「足が動かなくなるぐらい練習しろ」と顧問である体育科の教員(剣道七段)から指示が出され、練習後に剣太さんが顧問の教員に報告に行くと、「ここまで歩いて来られるということは『歩けなくなるまで練習しろ』という顧問の“厳命”が守られていないではないか」と怒りの表情を見せ、剣太さんにこう言ったという――「じゃあ、あしたの練習おぼえちょけよ」
あとで同じ剣道部員であった弟の風音(かざと)が道場内の気温を確認したところ、その日は36度あったそうです。そのような暑さの中で、剣太がふらつくと、その態度が顧問には「ふまじめ」に映るようで、「気迫が足りない」「それぐらいでへばるな」と顧問は怒って声を荒げました(注2)。
(注2)練習は「顧問から抜けてよいと言われた者ははずれてよい」という方式になり、「じゃあ、あしたの練習おぼえちょけよ」という顧問の“予告”通りに、剣太さんが最後まで残されることになる。このあたりの、主将格の部員を痛めつけるような“指導”(見せしめ)は、部員が自殺した大阪市立桜宮高校での事例と共通点が見てとれる。
部員を集めた場面では、顧問は剣太の眼前に鉄製パイプ椅子を投げつけたり、面の下についている「突き垂れ」の部分を持ち上げて、むき出しの喉の部分を手で突いて、思わず剣太が苦悶の声を漏らしたりするようなこともあったと聞きました。
「もう無理です」――ふらふらになる中で、剣太は顧問に対してそう言ったそうです。小学1年生から剣道を始めた息子は、そのような言葉をどんな練習の時にも言ったことがありませんでしたから、顧問の言う“指導”のひどさが、その一言からもわかります。そして、まわりの部員たちは、その時すでに息子の異常には気がついていました。
剣太はふらついて壁に当たり、ひざまずいたり倒れたりしました。その時すでに熱中症が始まっていたのです。部員らは、息子を何とか立たせて、また元立ち(注:「もとだち」…掛かり稽古などでの打つ側である「掛かり手」に対して打たせる側)の部員に向かって行くようにさせたていたのですが、今思えば、剣太をそこで何とか病院に連れて行ってほしかったと思います。
しかし…そのような状態になっているにもかかわらず、顧問からは信じられない言葉が息子に浴びせられました――「芝居やろうが…!」「きついふりをするな!」
対戦相手から竹刀を払い落とされた場面では、息子は自分が竹刀を落として竹刀を持っていないということもわからず、手に何も持っていない状態で構えのかっこうをしていました。もう脳障害も現れていたのでしょう。
ところが、そんな息子に対して顧問がやったことは、体が「く」の字に曲がるほどに蹴ることでした。よろけながらも、息子は何とか倒れずに踏みとどまりましたが、もがき苦しみ、その場で面と胴を外そうとしたようです。剣道では、竹刀をおさめて、礼をし、道場中央からさがって着座し、正座の状態で面を外(はず)しますから、本来なら道場の真ん中で面と胴を外そうとするようなことは考えられない動作です。
あとで聞いた病院の話では、多臓器不全を引き起こして亡くなった息子の体温は42度ほど…正確には体温計がその温度までしか測れなかったそうなのですが、それほど体温が高かったそうです。たぶん…その面やら胴やらをはずそうとする息子の行為は、体の内部…内臓がとても苦しくて、たえ切れずに無意識でしようとした行為だと思われます。
そのことは、顧問が「何しとるんか!」と怒鳴った時に、息子が「本能です」とはっきりと答えていることからも想像できます。「演技をするな!」という言葉も聞こえないかのように、息子はふらふらと歩いて壁に激突しました。その当たり方は、まるでそこに壁があるのをわかっていなかったかのような倒れ方だったそうです。そして、そのまま手もつかずに前のめりに息子は倒れました(注3)。
(注3)この時、すでに剣太さんは面を外し、頭部には何もつけていない状態だった。
「お前…そんな演技せんでいいぞ!」「演技やろーが、何をしてる」――顧問はそう言うと、倒れている息子に手をふりあげて往復ビンタを10往復ぐらいしました。顧問は、傍らに立って、その様子を見ていた副顧問の教員に向かって「心配せんでいい、こいつは演技やけん」と言って叩き続けたのです。
凄惨な暴力の現場に居合わせて、ただひとり、息子を救える立場だった剣道5段の副顧問は、息子に加え続けられる暴力をただ横で見ていたそうです。その結果…救急車もなかなか呼んでもらえず、息子は搬送先の病院で亡くなりました。
2010年3月2日に、私たちは大分地裁に顧問らの暴力を提訴、その月の12日には刑事告訴をしました。今年の3月21日、大分地裁での判決は、顧問らの過失が認められ、一般的な民事訴訟での「勝訴」を得ることができました。けれども、私たちは、判決の内容を聞き、当初から予想されていた「国家賠償法」によって個人責任が問われていないことを知るとすぐに、4月3日に福岡高裁へ控訴しました。
「勝訴とも言うべき判決なのに、どうして控訴を…?」――いろいろなところで、こういうことを尋ねられました。たしかに、顧問や副顧問、大分県などの過失は判決で認められました。しかし、息子を死に至らしめるような顧問の個人の責任が(国家賠償法の規定によって)認められなかったのです。
もし、剣太にされたような暴力が、学校の外で誰かに加えられたらどうでしょうか…。人を1回でも叩けば、その行為は暴行罪で罪に問われます。ところが、学校の中で、教員がいまお話したような暴力をふるっても、国家賠償法という法律によって個人の責任が問われないままで来たのです。どうして、これだけの暴力をふるって、人を死に至らしめた人間を(国家賠償法という)法律で守る必要があるのでしょうか。自分でおこなった暴力行為について、個人で責任を負うべきではないでしょうか。
裁判で教員個人の過失を認めるのであれば、その個人に国家賠償法を適用することはしないでほしいのです。顧問も、副顧問も、職場を追われることなく、副顧問については既にふつうに教壇に立って、教えているのです。
私たちの提起した裁判を通して、学校での(教員等による)暴力行為に国家賠償法が適用されず、教員個人の責任が認められるようになれば、剣太が受けたような暴力事件は無くなって行くと考えます。
親にとって……わが子の葬式を出さなければいけないということは…地獄なのです。私はずっと泣いて過ごして来ました。いまも、息子の写真見ながら、私は考え続けています。剣太がうどんを食べながら微笑む姿や、亡くなる3日前に兄弟で仲よく腕相撲をする写真を見ながら、(写真の中にいる)この子が、今どうして、この世に居ないのか…と。
息子は、救命救急士になるのが夢でした。そのあこがれの仕事について、人の命を助けたいと願っていました。ところが、顧問教諭の暴力や、それを傍観していた副顧問によって夢も人生も奪われてしまいました。8月22日のあの日…息子は私の作ったおにぎりを鞄に入れて「行って来まーす!」と元気に出て行ったまま帰って来ませんでした――。
私たちが経験したようなことを何としても学校現場から無くして行きたいと思って、多くの人たちに支えられながら、今も私たちは闘っています。国家賠償法の壁を打ち破るために、私たちはどこまででも闘うつもりです。高裁でもその壁はたやすく越えられないかもしれないという説明を受けても、私たちの決意はまったくゆらぎません。どうぞ、これからもみなさまのご支援をよろしくお願いします。本日は、ありがとうございました。
◇◆◇ 村川康嗣さんの場合 ◇◆◇
私の長男、村川康嗣(むらかわこうじ/当時12歳)は、2009年7月29日、滋賀県愛荘町立秦荘中学校の柔道部の部活動中に、柔道部顧問(27歳・当時)に大外返しという返し技で投げられ、その直後に意識不明になりました。乱取り中のことでした。
救急搬送された病院で「急性硬膜下血腫」と診断され緊急手術を受けましたが、意識が戻らないまま、約1ヶ月後の8月24日に死亡しました。
息子は、4月に柔道部に入ったばかりの初心者でした。私は、柔道部の顧問と副顧問、さらには学級担任の教師に再三にわたり、息子には喘息の既往症があること、また過去にスポーツをした経験がないので、他の生徒さんと同じ練習はできないと思うので、別メニューを組むなどの配慮をして欲しいことをお願いしていました。
ところが、6月中旬、正式入部をしてわずか10日目に、息子はふくらはぎの内側が筋断裂になりました。この時も、顧問は医者に連れて行くなどせず、すべての練習が終わってからただ帰宅をさせただけでした。この時にも、私は顧問に対して、息子にあった適切な練習をして欲しいと申し入れをしました。正式入部からわずか10日で、筋断裂を起こすような練習が初心者へ配慮した練習だと言えるのでしょうか。そして、事故が起こりました。
事故後、秦荘中の柔道部において、私の息子にどのような指導がされていたのか、事故当日どのようなことが行われていたのかが徐々にわかってきました。喘息があると申し入れていたにも関わらず、顧問は息子に防塵マスクをつけさせてランニングをさせていました。
息子に受身が指導されたのは、わずか8日間だけでした。その後は、県下でも強豪とされる柔道部の他の部員とほぼ同じ練習メニューが課せられていたのです。柔道部では、この顧問により、平手打ち等の暴力行為が日常的に行われていた事もわかり、そのことを顧問自らが民事訴訟の中で認めました。
事故当日、乱取り練習は、息子が意識を消失するまでに、50分以上連続でおこなわれていました。この時の乱取りは中学1年生が常に上級生と対戦するという、この日初めておこなわれた形式での乱取りでした。柔道経験は正式入部してからわずか28日程度の息子が、県下でも強豪といわれる柔道部で、上級生と常に乱取りをするという事になります。
途中で水分補給がおこなわれただけで、2分間の乱取りを26本、連続でおこなっています。乱取りの15本目以降は、水分補給すら許されていませんでした。
乱取りの相手をした上級生からは、乱取り中に何度か頭を打っていたという証言もありました。そして、15本目を境に、息子の様子がおかしかったとする証言が多数出て来たのです。
――フラフラで立っているのもやっとだった。
――フラフラ、フニャフニャしていた。
――立ち上がるのもひと苦労していた。
――握力がなかった。
――水分補給の際に水筒が置いてある場所とは反対方向にフラフラと歩いていった。
この時に既に、脳震盪(のうしんとう)あるいは脳損傷による意識障害の兆候が出ていたのです。息子の執刀医の脳外科のドクターは、これは脳損傷による意識障害の兆候であると明言され、この時に練習を中止して病院で適切な処置を受けていれば、亡くなることは無かったと証言して下さいました。
しかし、そのような状態の息子に対して、顧問は乱取りを継続させ、23本目以降は、練習中に声が出ていないという理由で息子1人を残して、乱取りを続けさせたのです。
最後は、顧問自らが息子の相手となり、絞め技で絞め落とし、さらに経験者でも受身がとりづらいとされる返し技で息子を投げたのです。2度、顧問による大外返しで投げられた後に、息子は起き上がることなく意識を無くしました。
息子が意識をなくした後、この顧問は、熱中症だと思い、息子の全身に水をかけ、そして、息子の頰を平手で打ち続け、覚醒させようとしました。脳に損傷を負った可能性がある子どもの頭部を平手打ちで打ち続け、頭部を揺らすことの危険性、その認識さえもこの顧問にはなかったのです。
救急隊が到着した時には、すでに息子の瞳孔は開いていたそうです。
病院に運ばれ、開頭手術を受けた時に、脳内に溜まっていた血が噴水のように吹き出したとドクターより聞きました。
そのまま息子は一度も意識が戻ること無く、亡くなりました。わずか12年の生涯でした。
民事提訴では、顧問の予見可能性が認められ、注意義務違反が認められ勝訴しましたが、国家賠償法により顧問個人の責任は問われませんでした。
顧問が息子の技能・体力に見合わない無理で無謀な練習を課し、疲労困憊の状態で練習を継続しても効果が期待できないにもかかわらず、さらには息子の生命・身体に危険を及ぼす恐れがあるにもかかわらず、顧問は練習を継続させました。そして、乱取りの最後に顧問自身が初心者には危険な「返し技」で投げるという一連の行為は、本来の中学柔道部のあるべき指導の範囲を大きく逸脱した行為であり、「指導」という名の「虐待」であると私たちは裁判で主張してきました。
これらの行為が、社会通念上、職務の範囲を逸脱している事は明らかで、そのような場合でも公務員個人への賠償責任の追及ができないことは、被害者感情や社会正義を考慮すれば、被害者救済を著しく妨げるものだと思います。
たとえ、部活動の指導をする者が公立学校の教師であったとしても、故意又は重大な過失によって生徒の生命・身体に損害を加えた場合は、民法709条の不法行為責任が認められるべきであると私は考えます。
また、顧問の刑事責任についても、大津地検は「不起訴」の判断を下しました。顧問が息子に対しておこなった、虐待的な指導、暴力について、罪を問えないと判断したのです。
今も、多くのスポーツ事故が発生し、また、その指導の中で「体罰」という言い方でその本質を隠した「虐待」が行われています。
これらの「虐待」行為に、公正な司法の判断を下すこと、このことも学校現場での事件や事故を再発させないための、また、子どもたちが安心してスポーツに打ち込める環境作りのための一助になると思います。本日はありがとうございました。
◇◆◇ 村川会長からの呼びかけ ◇◆◇
シンポジウムの閉会のあいさつの際に、「全国柔道事故被害者の会」の村川会長が、参加者に呼びかけたことがある――「みなさん…今日のシンポジウム以降…(今日の報告があったような事例について)〈体罰〉という言葉を使うのをやめましょう。〈体罰〉というのは、“体に与えられる罰”です。しかし…今日の工藤剣太さん、そして私の甥の康嗣は何か、罰を与えられるような悪いことをしたでしょうか。彼らに加えられたのは、暴力であり、虐待なのです」
シンポジウムで報告のあった、工藤剣太さん、村川康嗣さんの事例だけでに限らない。勤務時間内の学校を舞台にした〈暴力行為〉や〈わいせつ行為〉を、単に「勤務時間内」で「学校内で起きた」という理由で、その行為の内実を考えることなく「公務員の職務行為」として、国家賠償法で保護するような誤った司法判断が後を絶たない。
〔例1〕 一般人が、町中で腹いせに人を殴る
〔例2〕 教員が、校外(町中)で腹いせに人を殴る
〔例3〕 教員が、校内で勤務時間中に腹いせに生徒を殴る
この中で、最も悪質なのは、〔例3〕の行為である。(1)「教員」という高度の専門性を備えなければいけない人間が、(2)本来は深く敬愛し、保護しなければいけない相手(児童生徒)に対して、(3)勤務時間中かつ自らの勤務場所において(4)「指導」という言葉を隠れ蓑に、暴力をふるうのであるから、単なる〈傷害罪〉などではなく〈業務上過失致傷〉などより厳正に処罰するべきであろう。
「キャプテンやから、がんばるけん」と言って顧問である体育科教員の「リンチ」とも言うべき暴行の末に“殺された”工藤剣太さん。将来は建築家になることを夢見て、新しい中学校生活で自ら体を鍛えようと柔道部に入部した村川康嗣さん。――意識が戻らないまま逝った息子の心中を察して、母親は「康嗣はもっと生きたかったのだと思う」としぼり出すようにその気持ちを代弁した。学校現場での理不尽な〈死〉を根絶することは私たちの責務である。
(了)
《 備 考 》
◎ 村川康嗣さんの裁判の控訴審判決が、2014年1月31日、大阪高裁で言い渡される。2014年1月31日(金)13時15分~、83号法廷にて。