【指導死】根絶のために~「特別な指導」へのコペルニクス的転回を~
20世紀のアメリカの哲学・教育界を牽引(けんいん)し、さらには戦後日本の教育にも多大な影響を与えた教育思想家に、ジョン・デューイ(1859~1952)がいる。
その彼が経験した〈コペルニクス的転回〉は有名な話だ。
つまり、教育のあるべき姿とは、教師(地球)のまわりを子どもたち(太陽)が話を聞くために取り囲むのではなく、いろいろな活動に取り組む子どもたち(太陽)を教師ら(地球)が見守るべきであるという、言わば天動説から地動説への転換にも似た発想の転換だ。彼は、この〈コペルニクス的転回〉を経て「児童中心主義」へと思い至る。
学校での「指導死」の事例を考える時、おとなや特に子どもを持つ保護者らが、教師による「指導」のあり方について、まさにデューイが経験したような発想の転換(コペルニクス的転回)をする必要があることを感じる。
◇◆◇東広島市立高美が丘中学校の〈生徒指導規程〉◇◆◇
実例を挙げよう。
10月29日に「指導死」と思われる中学2年男子生徒の自殺があった、東広島市立高美が丘中学校。そのウェブサイトには〈生徒指導規程〉が載っている。
一読して、気づくのは何ヶ所にも出てくる【特別な指導】という言葉だ。その一部を抜粋してみる。
第4条(頭髪)
学習活動や運動等の教育活動に妨げとならない清潔かつ自然な髪型や長さとする。改善が見られない場合,特別な指導を行う。
第5条(化粧・装飾・装身具・不要物等)
化粧・装飾・装身具・不要物等については,次のことを指導する。
異装と判断される行為については,別室にて改善ができるまで特別な指導を行う。
…(前略)違反があった場合,学校で預かり懇談時に保護者に返す。また特別な指導を行う場合もある。
第6条(持ち物・身なり等)
制服等,身なりについては,次のことを指導する。
校内外の学習活動及び登下校時は,学校が定める制服(服装)を正しく着用する。休日や忘れ物を取りに来る場合も制服または本校指定体操服を着用する。ただし,部活動の朝練習および部活動終了後,登下校の服装は体操服または部活動の服装でもよい。
異装と判断される行為については,特別な指導を行う。
第7条 ※体操服についての規程
既定の服装にできない場合は,保護者より担任に申し出て学校の許可を得る。違反があった場合は,特別な指導を行う。
第7条の「校内の生活」では、学校の物を壊したり、部外者が出て行かなかったりした時に、「場合によっては関係機関と連携する」とあり、要は「警察呼ぶぞ」ということだ。
第7条には、こんな条項もある。「学校への提出物は,期限内に必ず提出すること。当日下校後に提出してはならない。(ただし進路に関する書類は,日没後は保護者同伴で提出してもよい。)」
一読して、この施設(高美が丘中学)は、刑務所かどこかの収容施設かと思ってしまう。こういう規程に何の違和感も持たずに“指導”に精励する教師、こういう規程でしか生徒を自分たちの思い通りに行動させられない教師、そして、そうした教師と毎日顔を合わせなければならない生徒たち――。
◇◆◇「特別な指導」のお粗末さ◇◆◇
この〈生徒指導規程〉には多くの問題点があるが、こういう細目が無くても、きちんとした教育活動ができている公立中学校は少なくない。そもそも、この規程は何のためにあるのかと言えば、例えば、警察を呼んで「どうしてそんなことぐらいで警察を呼ぶのか」との批判があった時に、「いえ本校の〈生徒指導規程〉では…」と、その批判をかわすためであろう。
同じく、「どうして、子どものスカート丈に異常なほどにこだわるのですか?」と保護者から聞かれたときに、「いえ本校の〈生徒指導規程〉では…」と、その問いかけをかわすのに役に立つぐらいしか、この規程は効用が無い。
逆に言えば、この〈生徒指導規程〉は指導する教師たちの自信の無いことの現われでもある。自分たちが子どもたちに尊敬され、信頼されていれば、そういう規程を楯に、子どもたちを強制・服従させる必要などさらさら無いのだ。今さらながら、寓話『北風と太陽』の持つ意味が思い返される。
さて、第9条以下には「特別な指導」に関する内容が書かれている。
「特別な指導」の対象となる「第2段階」の行為として書かれているものには噴き出してしまうものもある。たとえば、「道路交通法違反のうち程度の重いもの」というのはわかるにしても、「個人間物品売買」「他の教室や自分の物でない物を自分の物として使用した場合」が、どうして、より重い「第2段階」の行為になるのか、理解に苦しむ。
さらに重い(=悪質さが増す)第3段階には「指導に従わない場合(指導無視,暴言)」とあり、こういう規程を最初に取り決めた教師らの社会常識の無さ、精神的未熟さが見て取れる。
第10条の内容もひどいものだ。指導に対して「改善が見られない生徒には,該当生徒の保護者を含めPTAによる授業観察を行う」とある。つまり、これは、「授業態度の悪い生徒の親も呼んで、みんなでその生徒の授業態度の悪さを実際に見てみましょう」というものだが、これは単なる〈見せしめ〉や〈つるし上げ〉でしかない。
さきに「この施設(高美が丘中学)は、刑務所かどこかの収容施設かと思ってしまう」と書いたが、「指導に従わない場合」が、一足飛びに第3段階の「特別な指導」の対象になるとは、教師の思い上がり以外のなにものでもない。
◇◆◇今こそ〈コペルニクス的転回〉を!◇◆◇
高美が丘中学校では、特定の行動に対して、【特別な指導】をちらつかせて生徒を威嚇(いかく)しているが、ここで改めて問いたい。
――【特別な指導】を受けるべきはいったい誰なのかと。
例 「改善が見られない生徒には,該当生徒の保護者を含めPTAによる授業観察を行う。」
もし「授業観察」をするとすれば、見るべきは、教師の授業が本当に子どもたちにとって魅力的なものになっているか…ではないのだろうか。
授業を退屈そうに受けている子どもに問題があるのか、それとも、退屈な授業しかできない教師が問題なのか、授業中におしゃべりをしてしまう子どもが責められるべきなのか、それとも、子どもたちがおしゃべりしてしまうような授業をしている教師の技量(レベル)をこそ考える必要があるのか。
本当は、【特別な指導】を受けるべきは、生徒を授業に向けさせられない教師自身ではないのだろうか。
例 「指導に従わない場合(指導無視,暴言)」
高美が丘中学の〈生徒指導規程〉によれば、「指導無視/暴言」が見られた場合、生徒が【特別な指導】を受けさせられる。
では、どうして教師は【特別な指導】を受けなくてよいのだろうか。教師は、その時に自分では「最適/よい」と思った指導をするのだが、生徒からの「指導無視/暴言」などの思わぬ反発に遭う。その際に“悪い”のは生徒のほうなのだろうか。指導の方法を誤った教師の方だろうか。
例 「学校への提出物は,期限内に必ず提出すること。当日下校後に提出してはならない。(ただし進路に関する書類は,日没後は保護者同伴で提出してもよい。)」
ここで責められるのは、期限内に提出物を出させられるように配慮しなかった教師自身ではないのか。実際の提出日よりも1、2日早くクラスで集めるように担任が工夫したり、忘れそうな生徒には前日に1本電話を入れたりすれば済むことではないのか。わざわざ下校して提出物を取りに行かせるようなことは、本来は担任が自らの力不足を恥じるべきことではないのか。
◇
「何度言っても、おたくのお子さんの問題行動が直らないのですが…」
学校からの呼び出しを受け、そこでこう教師から言われた時、保護者は次のように言葉を返してみたらどうだろう?
「何度言っても子どもが変わらないということは、あなたはもしかすると【指導力不足】教員ですか。あなたには【特別な指導】が必要ではありませんか」
「あなたのお子さんは成績が悪いですよ!」――それは生徒が悪いのか、きちんとした学力をつけてやれない教師が責められるべきなのか。
「あなたのお子さんは授業に集中していませんよ!」――それは生徒が悪いのか、それとも、生徒たちを授業に集中させられない教師に改善すべき点があるのか。
◇
「生徒が、学校に漫画本を持ってきたら、学校の負け」
「生徒が、授業中に居眠りをしたら、教師の負け」
かつて取材で、こんなことを語った教師がいたが、彼は常に会場をわかせる綾小路きみまろが好きだという。その教師が漫談師についてこう話す。
――漫談師は会場でお客さんを笑わせることが仕事だ。もし、会場でお客さんが笑ってくれなかったり、居眠りしたりした場合、悪いのはお客さんだろうか、それとも漫談師自身だろうか。たぶん、お客が笑ってくれなかったら漫談師は自分の芸を反省すると思う。それなら、会場(教室)で子どもたちにきちんとした学力をつけさせる教師が、子どもたちの居眠りや学力不振にどうして責任をとらないのだろう。
これは、まさにその教師が敬愛する大村はま(1906~2005)が繰り返し書いてきたことであり、ほかの職種で考えてみればごく当然のことでもある。
患者の怪我(例 骨折)を治すのが医師の務めである。患者の骨折がよくならないことを患者のせいにする医師がいたら、物笑いの種になる。
犯人をつかまえるのが警察官の職務だ。犯人を取り逃がした警察官が、それを犯人のせいにしたら、滑稽である。
消防士の職責は火事を消すことにある。消火が十分ではなく、消防士が引き上げた後に再燃して家屋が全焼してしまったら、その責任は消防士にある。
どうして、教師だけが、自らがその職責を果たせないことを、幼い相手のせいにし、さらに傲慢にもその相手を責めることが許されているのだろうか。
【指導死】の悲報に接するたびに、子どもを責め続け、子どもに責任を押しつけ続けてきた現場の指導方法そのものを変えていく必要を痛感する。
(了)
《関連サイト》
◎ 東広島市高美が丘中学校
「生徒指導規程」(最新情報のトップにある)
http://www2.city.higashihiroshima.hiroshima.jp/~takami-chu/
◎近畿大学附属東広島高校の事例