追い詰められて〈死〉に至る子どもたち ~東中学再訪~
「生徒たちの心のケアをするべくスクールカウンセラーの人たちが心を砕いて、ようやく今生徒たちも落ち着いてきたところだ。心無い質問によって、また生徒たちがフラッシュバックのような形で傷ついては困るので、取材は控えてほしい」
これは、生徒指導中に男子生徒が校外に抜け出して鉄道事故で亡くなった、日光市立東中学校・諏訪文敏校長の言葉である。その前には「ひとつの取材を受けると、ほかのメディアとの不公平が生じるから」という奇妙な理由で、個別の取材には応じない旨の発言もしているから、まず校長からして個別の取材には応じない、生徒への取材も遠慮してほしい――要は、「学校で起きた事故(事件)についてシャットアウト」ということらしい。
本当に、スクールカウンセラーが全校生徒のケアに当たり「何とか落ち着いてきた」というような事態なのか、事実を確認するべく、再び日光市の東中学校を訪れた。
再訪した3月10日、同中では午前中に卒業式が行われ午後は閑散としていたが、校外では同中学に通う生徒や保護者から、校内では第1学年所属のT教諭から話を聞くことができた。
そのT教諭――、最初は外からの来校者に笑顔で世間話に応じていたものの、こちらから2月7日の事故(事件)に話題を振ると、同教諭は途端に顔を曇らせ、「その件でしたら、校長に…」と言ってただちにきびすを返した。「いえ、学校長は今後個別の取材は受けないとおっしゃっていたので、せめてほかの先生方の意見を…」と言おうにも、教諭は逃げ去るように足早に校舎内に入り、そそくさと靴を脱いで学校長を呼びに消えてしまった。
ほどなく玄関ホールに諏訪校長が現れた――。
◇◆ もうひとつの「飛び降り事故」 ◇◆
ここはよい機会である、昨年(2010年)秋に起きた、女子生徒による校舎ベランダからの飛び降り事故について聞いてみた。これは、東武日光駅近くで取材を重ねるうちに、東中学校の保護者が教えてくれたものである。
複数の保護者の話によると、校内で「いじめ」があり、女子生徒がほかの生徒たちから2階ベランダに締め出される中で、女子生徒はそのまま下に飛び降りて、腰の骨を折る大けがをしたというものだった。
「ふつうならすぐに救急車を呼んで搬送するのに、怪我をした女子生徒をそのまま教師が車で病院に連れて行ってしまって…。救急車を呼ぶと、飛び降りそのものが校外にも漏れてしまうので、それを恐れたのでしょうか…。保護者にも、はっきりした説明がなかったものですから…(それ以上のことはわからない)」
保護者は、校内でそういう事故(注:飛び降り事故)があっても、家庭にはきちんとした説明が無い、だから今回の事故(注:2月7日の鉄道事故)だって本当はどうだったのか誰もわからない、学校に不信感を持っている保護者も多いのでは?――こういう趣旨のことを苦々しく語った。その「飛び降り事故」について、諏訪校長は記者からの問いかけに事実を認め、事故後どのように保護者に説明をしたのかも語ってくれた。この「どのように保護者に説明をしたのか」――ここがいちばんの問題点である。
それによると、1回目の記事で紹介したような〈情報差別〉が、2010年秋の飛び降り事故でも発生していた。つまり、校長は「市教委には、きちんと事故報告書をあげました」と答えたが、保護者には、平日の夕方に「説明会」を開き、その“説明”はすべて口頭であったと語った。市教委に出したような「書面による」説明・報告のたぐいは一切していないということであった。
「校内で、いじめがあったのか――?」
こう尋ねると、諏訪校長は「いじめ…の可能性も捨てきれないが、実際のところは…わからない」と、言葉を選びながら、苦しそうに答えた。「ほぼ〈いじめ〉の事案であろうが、〈いじめ〉があった…とは立場上言い切れない」――こんな心情が言葉の端々からはうかがえた。
さらに2月7日の事故(事件)のことで、スクールカウンセラーについて尋ねてみた。たしかに市教委から2名のスクールカウンセラーが派遣されたらしいが、2名の名前を尋ねると「それは個人情報なので…」と諏訪校長は、一度は口を閉ざした。
「それでは誰かが東中の校長は何という名前ですかと尋ねた時に、教職員は個人情報であるとの理由から、校長名を答えないのですか?」
こう切り返すと、学校長はK、Hの2名の名前をあげた。他校の例だが、「スクールカウンセラーがケアに当たりました」と校長が説明しつつも、実際にはほとんど何もされていなかった事例も過去にはあるので、やはり、事実関係を詰めて行くには、固有名詞は欠かせない。事案にもよるが、スクールカウンセラーの名前ひとつ取っても「個人情報」という“葵の御紋”を出してくるあたり、諏訪校長の人権感覚はなかなかのものである。スクールカウンセラーの人権(例 プライバシー)も守られるべきだが、同時に生徒や保護者らの人権(例 知る権利)も同じように手厚く守られなければいけない。
「2名のスクールカウンセラーが市教委から派遣された」との説明のあとで、同中学の生徒らに聞くと、第2学年を中心にアンケート用紙が配られ、「悩みはありますか?」式のことが聞かれたという。しかし、諏訪校長が言うような「スクールカウンセラーが生徒たちの心のケアに当たって、ようやく落ち着いてきたところだから、生徒たちに取材するのは控えてほしい」と心配する事態では全く無いこともわかって来た。むしろ、東中学校の生徒たちの話からすると、諏訪校長が、東中学の実情を表に出さないようにするために、取材を牽制(けんせい)したというのが本当のところのようだ。
◇◆ 学校発表は「嘘」だったのか――? ◇◆
取材を進めていくうちに、ある重大なことがわかって来た。
複数の保護者らの話によると、2月7日に亡くなった中2男子生徒への“指導”は、どうやら学校発表とはかなり違うということだ。
学校の発表では、16時頃から男子生徒の所持品について別室で“指導”が行われていたことになっているが、その前15時からの「アイスホッケー部の優勝を祝う全校集会」に、男子生徒は出ていなかったという。もし、それが本当ならば【指導死】の問題について問題提起する大貫隆志さん(注:2回目記事)が心配する事態――つまり「長時間の指導による、生徒への精神的な圧迫」が生じていたのではないかということだ。
◇◆ 学校が今後やるべきこと ◇◆
1回目の記事で「現在の学校問題の核心――つまり、事故(事件)について、生徒や保護者らの意見表明の場は設けられず、〈知る権利〉もないがしろにされ、学校の意のままに事件・事故が処理されていくという構図」を記者は指摘した。日光市立東中学校での今回の事故(事件)について、生徒や保護者らの《知る権利》を保障するためには次のような学校側の対応は必要ではないだろうか。
(a)2010年秋の「飛び降り事故」も含めて、同中の生徒が関わる事故については、市教委に【書面】での報告書をあげたように、全保護者に対しても【書面】での報告書を配布すること(→読む/読まないは、各家庭の自由である)。
(b)特に、その報告書内では、2月7日当日の事故について時系列ごとの事実関係を明らかにすること。(前述の通り、亡くなった中2男子生徒は、15時からのアイスホッケー部の優勝を祝う会には出席しておらず、その時間帯から別室で教師らから“指導”を受けていた可能性がある。「16時からの指導」という学校の発表には多くの保護者から疑問の声があがっている)
(c)また、〈指導後の自殺〉ではなく、〈指導中の自殺〉という今回の事態に対して、反省すべき点・今後の改善点を検証し、保護者あての【書面】による報告書にそれらを記載すること。(学校は強く出る生徒や保護者には何も指導することができず、おとなしい生徒には必要以上に厳しく当たっている、との保護者からの指摘もある)
◇◆ 隠蔽、その手順 ◇◆
子どもたちが学び、成長していく学校という教育現場で、子どもたちが命を落としたり、深く傷つけられたりするようなことは本来絶対にあってはならないはずだ。しかし、現実には、いじめ、教師からの体罰や性的暴行などに関わる痛ましい事件・事故がいっこうに無くならない。
その無くならない原因は何か――。その大きな原因が、学校関係者による情報操作、つまり隠蔽(いんぺい)である。
しかし、その隠蔽は、箝口令(かんこうれい)を敷くといったおもてだったものではない。それは非常に巧妙なやり方で行われる。初回記事で紹介した「指導に当たった教員には、きちんと聞き取りをして、教育委員会にも報告書をあげています。全校集会をひらいて、保護者にも説明をして、ご理解を頂いています」という学校長の言葉にも重要なヒントは隠されているが、どのように真実が隠されるのか――、箇条書きにすれば次のようになる。
(1)「聞き取り」は、学校にとって不都合な人間からはしない。→ いわゆる被害者的立場の児童・生徒、その家族などからの意見を聞くことは、学校現場ではきわめてまれである。
(2)学校は第三者機関ふうに「事故調査委員会」なるものを立ち上げるが、メンバーに教育委員会関係者や学校寄りの人物を選ぶ。→ 人選そのものが公正さを欠く委員会では真実の究明は期待できない。また、そうした委員会を表向き設置することで、肝心の事件・事故の当事者は「現在、委員会が事実関係を調査中なので発言を差し控えたい」とだんまりを決め込むことになってしまう。
(3)事件・事故の報告について、教育委員会には【書面】で、保護者らには【口頭】でという情報操作(情報差別)が行われる。→ しかも【書面】には、学校に都合のよいことしか記載されず、関係する児童生徒やその家族が内容を確認しようにも、教育委員会は「外に出すようなものではない」「個人情報」「プライバシー」といった理由で報告書の内容については明らかにしようとしない。
(4)保護者あての【口頭】による説明も、平日の限られた時間帯に行われるので、出席できるのはごく一部の保護者となる。→ 学校は「説明会を開いた」というその1点で、あとは、何の痕跡(例 出席できなかった保護者のための、文書による報告書)も残さずに、事件・事故にフタをしようとする。
(5)さらに一部の保護者から、学校側の好ましくない事実を指摘されると、たいていの場合、当事者である校長や教員は異動になる。いわゆる矛先をそらす古典的な方法で、浦安市での事件でも〔注1〕、広島での事件でも、性的暴行を繰り返す教員を、教育委員会はひんぱんに異動させ、そのために問題の発覚が大幅に遅れてしまった(広島の事件では、小学校教師が、赴任する先々の学校で19年間、子どもたちに性的暴行を加えていた)。
こうした隠蔽は、児童生徒や保護者らの《知る権利》に直接かかわることがらであり、巧妙な隠蔽工作は、児童生徒や保護者らに対する重大な〈人権侵害〉であるとの認識を、多く人が持つ必要がある。
何の根拠も無くおおやけの場で「生徒の死亡と指導との間に因果関係は無い」と言い放つこと、保護者らには口頭で“説明”を済ますこと〔注2〕、児童生徒や保護者からの意見を集約してほかの保護者らと情報の共有をはからないこと――これらはすべて、《知る権利》の侵害である。
それでは、どのように学校現場を変えて行けばよいのか――。
◇◆ 学校の健全化のために ◇◆
長期的には、現在のような「情報差別」を解消するために、(イ)事件・事故が起きた時の調査方法の公正化(ロ)児童生徒や保護者への【書面】による報告(ハ)保護者からの質問に対する回答を義務づけること――等を制度化(法制化)すべきであろう。
しかし、それ以前に、子どもたち、保護者、現場の教員――その誰もができることがある。それは、誰かのアクション(働きかけ)を待たずに、自分から《声をあげること》だ。声をあげる相手は、子どもから親でもいい、親から別の親でもいい、現場の教員であれば職場の同僚にまずは声をかけてみればよい。ふだん疑問に思っていること、納得がいかないこと、おかしいと感じていること――それらを、誰かに話してみることだ。
その声に対し、もしかしたら納得できる答えや説明、アドバイスがもらえるかもしれない。それならば、それはそれでよかったことだ。あるいは、誰かに話した疑問や理解できないことについて、予想外の賛同が得られるかもしれない。その場合も、より多くの人が疑問を感じているということが明らかになったという点で、《声をあげること》には意味がある。
つまりは、誰であれ、どこであれ、自分が疑問に思ったり、道理に合わないと感じたりすることについて、まず《声をあげること》が大切なのだ。その声をあげる先は、無理をせずに自分に親しい人から始めてみればよい。そして、その際は、自分の疑問の声について納得できる答えが得られるまで、《声をあげること》をやめないことだ。
このことは、浦安の事件で、臨床心理士の酒井道子氏が記者に語ったことでもある〔注3〕。酒井氏は性被害に悩む子どもたちへのメッセージとして次のように言った。
「何か苦痛に感じることがあったら、信頼できるおとなに伝えましょう、自分の言うことに耳を傾けてくれるおとなに出会うまで、そのことを言い続けましょう」「誰かに言って、それが聞き入れられずに終わりではなく、必ずあなたの言うことに耳を傾けてくれる人はいますから、そういう人にあなたの受けている被害を伝えましょう」
もちろん、組織の中で《声をあげること》は勇気もいる。しかし、何もはじめから正義感に駆られて拡声器を使ってがなり立てる必要はない。小さな声でよい。1ケ月でやめずに半年言い続けてみよう。半年間小さな声で言い続けることができたら、もう半年、さらに別の誰かに自分が「おかしい」と感じることについて語りかけよう。もし10人にひとり、あなたの声に耳を貸してくれる人がいたら、その人にも《声をあげること》を頼んでみることも勧めたい。とにかく《声をあげること》をやめさえしなければ、どんなに権力を持つ者が強硬に自分に不都合な事実にフタをしようとしても、必ず目の前の現実は変わっていくはずだ。
(了)
〔注1〕浦安・女児わいせつ事件 高裁判決
http://www.janjannews.jp/archives/2937122.html
〔注2〕生徒の命が失われるような事件・事故について、その説明を口頭で終わりにするというのは、口先ではどんなに高邁(こうまい)なことを述べようとも、実際には学校が子どもたちの命をいかに軽視しているかの表れではないだろうか。
〔注3〕酒井道子氏へのインタヴュー
http://www.news.janjan.jp/living/0909/0909160270/1.php
《追い詰められて「死」に至る子どもたち》
(1)東中学校、第1回目訪問記事
http://www.janjanblog.com/archives/32522
(2)大貫隆志さんによる、【指導死】への提言
http://www.janjanblog.com/archives/33067
《かやの外に置かれる生徒そして保護者》
(3)「真実を知りたい~文部科学省に要望・質問書~」
http://www.janjanblog.com/archives/31275
(4)「痴漢副校長、復職までの舞台裏」
http://www.news.janjan.jp/living/0907/0907177237/1.php
(5)「報道されなかった、ある柔道部員の死」
http://www.janjanblog.com/archives/17262
《子どもたちを守るために!》
(6)「いじめ」防止に定期的な無記名アンケートを
http://www.janjannews.jp/archives/2969461.html
《声をあげ続ける人たち》
(7)「内部告発」の先駆者・串岡弘昭氏
http://www.janjannews.jp/archives/2422973.html
http://www.janjannews.jp/archives/2837711.html
(8)元群馬県警警部補・大河原宗平氏
http://www.janjannews.jp/archives/2965723.html
(9)元東京都立三鷹高校校長・土肥信雄氏