〈指導死〉と〈いじめ防止法〉 ― 注視される文部科学省の回答
日本は、世界的に見ても子どもの教育環境は高い水準にあるように見える。高等学校への進学率は97%を超え、「大学全入時代」と言われる今、数値的には、希望すれば誰もが大学に進学できる時代である(注1)。
その〈オモテ〉の顔に対して、日本の〈ウラ〉の顔というものがある。それは…
○ 年間を通じて2日に1人の割合で子どもたち〔注:18歳以下〕が自殺し(注2)
○ 子どもたちの自殺の約6割が〈原因不明〉で処理され
○ 文部科学省は「自殺統計」そのものを取りやめようとしている
――これが、日本の子どもたちを取り巻く、もう一つの現実である。
(注1) 現在の大学進学率は約50%、「2人に1人」が大学に進学する。同時に、2012年のデータによれば約46%の私立大学が定員割れをおこしている。
(注2) 文部科学省の統計では年間の子どもの自殺者数は120~150人前後で推移して来たが、警察庁発表によれば、同人数は200~300程度である。仮に子どもの「年間自殺者数」を〈200人〉とした場合、200÷12=16人/月、つまり「2日にひとり」の割合で子どもたちが自殺していることになる。
【1】 〈指導死〉親の会、文部科学省に質問書を提出
昨年12月、大阪市立桜宮高校でのバスケ部顧問教諭による暴力が原因で部員が自殺する事件があった。それ以外にも、教師の不適切な“指導”から子どもが自殺に至るケースが後を絶たない。
そのような中、11月18日、「〈指導死〉親の会」のメンバーが文部科学省を訪れ、去る6月に成立した「いじめ防止対策基本法」(以下、「いじめ防止法」)について、きわめて重要な質問書を同省に提出した。そこに書かれた質問は――おおよそ次の4点に要約される。
〔1〕 「いじめ防止法」では、(こどもの自殺などの)「重大事態」が起きた時、事実関係を明らかにするための調査の実施、被害を受けた保護者への情報提供等を定めているが、これらの措置は「指導死」の事例でも適用されるのか?
〔2〕 文部科学省が平成23年6月に出した「児童生徒の自殺が起きたときの背景調査の在り方について(通知)」には「平素から、事後の緊急の対応や背景調査を適切に行うことができるよう取り組む必要がある」旨が書かれている。同じように、今後「指導死」事案を少しでも減らすために、過去の「指導死」事案の調査・分析をもとにした再発防止策の策定が必要ではないのか。
〔3〕 「指導死」は、「いじめによる自殺」以上に情報が出て来にくいため、文部科学省からの何らかの注意を促す必要があるのではないか。
〔4〕 上記〔3〕と関連して、指導の記録を残すことが必要ではないか。指導に当たっては記録係が同席して「指導内容を可視化する」ような取り組みについて、どう考えるか。
◇
「〈指導死〉親の会」代表世話人大貫隆志氏は、文科省担当者に質問書を手渡してから「いじめ防止法」成立に関連して予想される事態について、こう述べた。
「今年6月に成立した〈いじめ防止法〉によって、いじめを表面的に鎮静化するために、必ずしも適切ではない…“乱暴な”指導が行なわれることも考えられます。加害者に対して、より強制的な“指導”が行なわれて、子どもたちが自殺しないまでも、教師に対する不信感をいだく、心を病む、学校に行けなくなるといった事態が予想されます」
その後の意見交換の場で、質問事項に加えて、大貫氏は「指導死」の事例に共通して見られる特徴――たとえば「指導中に児童生徒を1人にしてしまうこと」を挙げる。
「日光東中でのケースは、指導中に親を呼ぶと伝えた後に生徒を校内で1人にしてしまったために、生徒は学校を抜け出して列車に飛び込んでしまいました。今年1月に岐阜県で起きた事例も、生徒を1人きりにして事故が起きています。このように過去の事案を精査することで、指導に際して具体的に指導する側が気をつけるべきことが見えてくるはずです。そして、そのような複数の事例に共通する注意点を、文部科学省が各自治体にアナウンスすることで、事故の防止率は格段にあがると思います」
さらに、大貫氏は「生徒指導しているのだから、悪い指導は無いはず」「生徒指導で、子どもが死ぬはずがない」といった考えが誤りであると述べ、実際には…
○“指導”によって、子どもたちが精神的に追い詰められることがあること
○「いじめ」以上に、“指導”の実態が見えにくいので〈指導の可視化〉が急がれること
○子どもの自殺後等に作られる「第三者委員会」なるものが、新たな隠ぺいのツールになっているケースがあること
などを指摘し、それらの問題について特に指導する側がふだんから自覚しておく必要のあることを強く訴えた。
【2】 遺族らによる記者会見
文部科学省での質問書提出のあと、同省内で〈指導死〉事案で子どもを亡くした遺族らが、記者会見に臨んだ。
2004年に自殺した安達雄大さん(当時14歳、中学2年生)の母親は「自分の子どもの自殺が『事故』扱いになっていたことを、1年後に知った。裁判では、自殺と指導との因果関係が認められたが、今もなお教育委員会が作った報告書では自殺の原因が、遺族の求める『教師による叱責』に修正されていない」と、自殺の事実や原因が(意図的に)歪曲されてしまう現状について紹介された。
2011年に文部科学省から出された「児童生徒の自殺が起きたときの背景調査の在り方について(通知)」は、学校現場での指針になるものだが、同年6月に自殺した山田恭平さん(当時16歳、高校2年生)の場合には、その「通知」と異なる形で“調査”が進められたこと、立ち上げられた第三者委員会の構成すら遺族に知らされなかったこと等が報告された。また、「通知」においても各教育委員会に任されているものが多く「自殺に至るまでに何があったのかを知りたい」という遺族の要望がなかなかかなえられないという指摘もされた。
母親は運動部に特有の“体質”をこう説明する――「当時の野球部は、暴力を受け入れるしかないような状況でした。『殴る指導』など…〈指導〉ではありません。しかし、保護者の一部には、『子どもは殴られて鍛えられる』、『殴られるから、勝ちに行くことができる』等も声もあり、そういう保護者の側の暴力容認の姿勢も今後変えていく必要を感じます」
「殴られることで死に物狂いになる子もいるかもしれませんが、そういう暴力に恐怖を覚える子もいるはずなのです。息子は、野球は大好きでしたが、暴力は心から嫌いでした。実際に息子は殴られてはいませんでしたが、ふつうではない殴られ方をするほかの部員のことを見て、本当に心を痛めている様子でした…」
東広島市の中学2年生だった男子生徒の父親は、息子の自殺(2012年10月29日)について、学校側の調査がその学年108名のうちわずか11名にしか聞き取りを行なっていないこと(注:そのうち9名が男子生徒と同じ野球部員)、設置された調査委員会は「遺族の質問に対して説明する義務は無い」との姿勢を示していること、今年9月の調査報告書では、自殺の直前1ケ月未満のことしか記述が無く、生徒へのアンケートもかたよりが見られること等を訴えた。そして、「アンケート内容も『プライバシーに関わる』との理由で9月の報告には入れられていない」、「教師への返答の仕方が悪いということで息子に『部活動停止』が科されたが、その“指導”内容が妥当だったかも分析されていない」として、「このような状況では真実は明らかにできない」と強い危惧の念を示した。
これまでのいくつもの〈指導死〉の事例では、子どもの行為に対する懲戒の内容が問題になることが多いが、東広島市立高美が丘中学の場合も「自殺した男子生徒の持ち物を、生前、教師が隠す」等、まさに「教師によるいじめ」をうかがわせる事実があり、そうした大人による幼稚な行為によって、教師・生徒間で望ましい人間関係が築かれていなかったことが容易に推察される。
きわめて恣意的な“指導”を長期にわたって受け、2002年3月に自殺した西尾健司さん(当時16歳、高校1年生)の母親は――「指導とは、子どもがよい方向に向かうためのもの。それには、指導の目的や方法が正しく、そして、指導の結果がきちんと伴わなくてはいけない。子どもが自殺するような“指導”というのは、どこかに問題があったということだ」と、“指導”の結果まで常に見極めながら教師は指導に当たるべきだと述べた。また、引きも切らず子どもたちの自殺が続いていることについて、母親は次のように語る――「息子の自殺後にも、〈指導死〉と思われるケースが続いており、わが子の〈死〉が生かされていないことが本当につらいです」
試験での不正行為が見つかり、その直後に校舎から飛び降りて亡くなった高校生の母親は、「子どもの側に非がある時でも、中高の多感な時期に、『指導中に1人にさせない』ということを現場で徹底させて欲しい」と発言した。
【3】 〈指導死〉に「いじめ防止法」は適用されるのか?
文部科学省は、「同級生らによるいじめで、子どもが自殺すること」(いじめによる子どもの自殺)は、その事実を認めているが、「教師による“指導”で、子どもが自殺すること」(指導死)については公式に認めていないという。その点について、大貫氏は次のように語る――。
「生徒指導による子どもの自殺を〈指導死〉と名づけたのが2007年、初めて文部科学省に申し入れをおこなったのが2008年9月29日でした。その当初からお願いしているのが、『生徒指導による子どもの自殺が起きていることを公式に認めてほしい』ということと『文科省として学校にそのことの注意喚起をしてほしい』ということの2つです。
〈教育現場での指導〉と〈子どもの自殺〉という……ある意味で、対極にあるものの関連性を認めてほしいというのは難しいという指摘もあります。それは教育行政の破綻を認めるようなものだという理由からです。けれども、私たちの子どもは、まぎれもなく“指導”による被害〔注:子どもの自殺〕に遭っているわけですから、私たちの主張は『ある』ものを『ある/あった』と言ってくださいというだけの、とてもシンプルなものです。」
「昨年12月の大阪市立桜宮高校でのバスケ部員の自殺に関する報道で〈指導死〉という言葉が一気に一般化しました。5月には高文研から『指導死』という書名の本が出版され、教師向けに〈指導死〉に関する講演をしてほしいという依頼も受けるようになりました。
そのように世論が高まる中で、私たちも、私たちができることを精一杯おこなって〈指導死〉の再発防止に取り組んでいます。ですから、文科省にも出来るだけのことをして頂きたいと願っています。『文科省が…』、『学校が…』、『教師が…』と各人が不満をぶつけるだけでは何も変わりません。まず自分たちができることをする。私たち遺族としては、文科省や学校や先生方に、それぞれの立場でできることをして頂きたいとお願いすることが、〈指導死〉再発防止のいちばんの近道だと考えています。」
文部科学省の担当者に話を聞くと、省内では「いじめ自殺」という表現に異を唱える職員もいるという。つまり、「いじめが直接の原因となって自殺が引き起こされる」と言えるほど「自殺」は簡単なものではない、実際には、もっと多くの要因が複合的にからみ合って自殺という現象が起きているはずだ――文部科学省内で聞こえる一部の声は、このようなものだ。
その主張が、実際に「同級生らによるいじめが直接的な原因となって引き起こされた自殺」に当てはめられて学校側の責任回避の便法にされては困る。しかし、たしかに「いくつかの要因が複合的にからみ合って起きる自殺」があるのも事実だ。その一つが「不適切な生徒指導による子どもの自殺」だが、そのことを考える前に…次の2つは、いったいどこが違うのだろうか。
(a) “生徒指導”による、子どもの自殺
(b) “生徒指導”に名を借りた、教師のいじめを原因とする、子どもの自殺
あるいは、「同級生らによる、いじめ」が原因でいじめに遭っていた子どもが自殺したケースを精査したところ、次の事実が確認できたとする。
(c) 教師の心ない発言が、クラスでのいじめを誘発していた。
(d) いじめを、教師が適切に指導しなかったために、それがエスカレートした。
(b)から言えることは、私たちは「いじめ」という言葉から、「同級生らによる、いじめ」を連想しやすいが、場合によっては「教師からの、いじめ」のケースも考えなければいけないということだ。さらには、表面的には「同級生らによる、いじめ」の事案に見えても、「教師の不適切な言動が、クラスのいじめを誘発している場合」や、「教師の対応が十分で無く、言わば教師の不作為から、いじめがエスカレートする場合」等も視野に入れておく必要がある。
◇
(a)~(d)の事例を考えると、「〈指導死〉親の会」が文部科学省に申し入れた質問の大きな意味が見えて来る。特に質問〔1〕――「『いじめ防止対策推進法』は、指導死の事案に適用されるのか?」という問いは、当然〈YES/適用される〉としなければならないだろう。
その理由は――上に述べたように
○「指導死」、「生徒指導による子どもの自殺」といった表現を大貫氏らは使っているが、実態としては「教師によるいじめが原因の子どもの自殺」があるからである。現在、およそ6割が「原因不明」として処理されている子どもの自殺の実態を解明するには、「同級生らによるいじめ」の他に「教師によるいじめ」にメスを入れることが不可欠だ。
○表面上は、「同級生らによるいじめ」を苦にして子どもが自殺した場合でも、クラス内のいじめを、教師が適切に指導できずに「いじめ」がエスカレートするケースや…
○教師の不適切な言動が最初にあって、そこからクラス内の「いじめ」が引き起こされるケースも考えられるからである。
特に、「指導死」の類型には、「教師によるイジメ・八つ当たり・精神的虐待・暴力等が原因の子どもの自殺」も考え得ることからすれば、「指導死」の事例でも、「いじめ防止法」で定める、(こどもの自殺などの「重大事態」が起きた時の)事実関係を明らかにするための調査や被害を受けた保護者への情報提供等がされなければならないのは当然だ。
◇
そもそも、平成18年度に見直された文部科学省による「いじめ」の定義は次のようになっている。
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」
つまり、この定義によれば「いじめ」とは「一定の人間関係」にある者―たとえば、同級生、部活動の先輩、地域での卒業生etc―からの心理的、物理的な攻撃を指すが、その定義において「教師によるいじめ」は除外されていない。だとすれば、「いじめ防止法」の場合でも、「教師によるいじめにも同法は適用される」と考えるのが、実態にかなっている。
◇
ところが、学校現場での〈指導死〉の存在そのものを公式には認めない(認めたくない)文部科学省としては、〈指導死〉の事例に「いじめ防止法」が適用されるようなことは何としても避けたい…という思惑もあるらしい。
実は、そういう思惑を体現するような、「いじめ防止法」の条文修正が、今年6月の法案成立直前に行なわれている。修正前の法案と、成立した条文を見比べれば、その違いは一目瞭然である。
〔修正前〕
第3条 何人も、児童生徒等をいじめてはならない。
〔修正後〕 ※成立した条文
第4条 児童等は、いじめを行ってはならない。
上の2つの条文を見れば明らかなように、〔修正前〕の法案では、「およそ誰であれ、児童生徒等をいじめてはならない」と、あらゆる人間に対して「いじめ」が禁止されているのに対して、成立した条文の主語は「児童等」になっている。「~等」に、「教員」が含まれるのではないかと法律を読み直すと、第2条の「定義」にこう書かれている。
「この法律において『児童等』とは、学校に在籍する児童又は生徒をいう。」
――ある意味で、見事と言うしかない。法案成立のぎりぎりまで、「何人(なんびと)も…いじめてはならない」と、あらゆる人間に対して「いじめ」を禁止する条文を残しておいて、直前に「いじめをしてはいけない人間」から〈教師〉を除外し、〈児童〉や〈生徒〉は「いじめをしてはならない」という意味で、「児童等は、いじめを行ってはならない」と定めるわけだ。
もう一度、私たちは、この国の教育をめぐる〈ウラ〉事情を思い返したい。
○ 年間を通じて2日に1人の割合で子どもたち〔注:18歳以下〕が自殺し(注2)
○ その子どもたちの自殺の約6割が〈原因不明〉で処理され
○ 文部科学省は「自殺統計」そのものを取りやめる
というものであったが、今回、さらに…
○ 「いじめ防止法」で法案段階では「教師を含む、あらゆる人間」に対して「いじめが禁止されていた」のに、成立した法案では、いじめが禁止されるのは「小中高生」のみ、「教師による、子どもへのいじめ」は法律から漏れてしまった(実質、野放し?)…ということである。
◇
しかし…今回の「いじめ防止法」で、本当に「教師によるいじめが原因の子どもの自殺」が法律から漏れてしまうのかと言えば、そうではない。教師の不適切な言動が「クラスのいじめ」を誘発するケースや、表面的には「クラスのいじめ」でも教師の不作為(いじめの放置)によって被害が大きくなるケースでは、背景に教師がいるにせよ「クラスのいじめ」が厳然として起きている以上は、「いじめ防止法」に則(のっと)って、事実関係が調査されることになるだろう。
もうひとつ、実際に、子どもの自殺が起きた場合に、それが「教師の“指導”が原因の自殺」であっても、「いじめ防止法」が定める事実関係を明らかにするための調査や被害を受けた保護者への情報提供等がされる――つまり、「指導死」にも「いじめ防止法」が結果として適用されるということは、次のことを考えればわかりやすい。
ある日、中学生が自殺したとする。
――その時点では、ほとんどの場合、「自殺の原因」はわからない。そのわからない状態で適用されるのが、「いじめ防止法」の規定だ。事実関係を明らかにするための調査が実施され、被害を受けた保護者への情報提供等がおこなわれる…はずなのだが、調査を8割がた終えたところで、「どうやら、自殺の原因に、教師のイジメや行き過ぎた“指導”が深くかかわっていた」ということがわかったとしよう。
その際に、「今回の子どもの自殺は、いじめ防止法の定める『生徒によるいじめ』ではなく、『教師による“指導”』が原因だとわかりました」「よって、ここで同法の適用を打ち切ります」…ということが出来るだろうか。
もし、形式的に「教師による不適切な指導が原因とわかった」ので「いじめ防止法」の適用を打ち切るとすれば、それはまさに〈指導死〉を認めるということになるが、原因が〈クラスでのいじめ〉とわかった時は、保護者に情報提供し、調査を進めていくうちに〈指導死〉がわかった場合は情報提供をしない…ということは、著しい不均衡であり不正義である。〈指導死〉の場合でも、「いじめ防止法」の立法趣旨を生かす形で ―つまり、同法を準用することによって―、事実関係の調査や情報提供がされるべきだろう。
◇
こういう煩雑な議論をどうしてしなければいけないかと言えば、原因ははっきりしている。もともと、「何人も、児童生徒等をいじめてはならない」(修正前・第3条)と定めてあった法案から、「教師による、いじめ」を除外したから、面倒なことになったのだ。
一般社会においても、上司から部下への“指導”に名を借りた「パワハラ」「イジメ」「八つ当たり」「精神的虐待」などは、ごくふつうに見られる。もし、そうだとすれば、一般社会での「上司・部下」以上に「教師・子ども」という強い上下関係で下の立場に立たされている子どもたちのために、「教師による、いじめ」に光を当てることは、子どもたちのために急務だろう。
今回、その〈指導死〉の問題から逃れるために、法案から泥縄式に「教師による、いじめ」をこっそりと外したことから、混乱が生じた。この混乱をうまく収拾するには、(1)法律の改正か…あるいは(2)法律の準用…つまり、「同級生らによる、いじめ」について規定された「いじめ防止法」の趣旨を「教師による、いじめ」にも生かして問題の解決に当たるという方法が私たちには残されている。
11月18日、記者会見での終わりに、大貫氏は次のように述べた…。
「息子の陵平が、この世に生を享けて13年――。その生と死とを意味のあるものにしていかなくては、あきらめ切れません。ですから、私たちは、この〈指導死〉の問題が解決の日を迎えるまで、訴えをやめるわけにはいかないのです。」
学校での教師の“指導”で子どもが死ぬ――こんな理不尽なことを許してよいはずがない。
(了)
《 備 考 》
◎ 12月15日現在、「〈指導死〉親の会」に対して、文科省からの回答はまだ届いていないという。