【指導死】シンポジウム ~語られた9人の子どもたちの死~(後)
◇12月26日22時55分~NHK総合テレビ(「追跡真相フアイル」)で本シンポジウムで報告があった
安達雄大さんや西尾健司さんらの取材番組が放送されます。
「たかがお菓子と思うかもしれないが、それを見逃すと今度はタバコになる。そうやって学年が立ちゆかなくなるから、お菓子といえども見逃せない」
これは〈指導死〉の問題を提起する大貫隆志氏の文章で引用されている、ある学校の学年主任の言葉だ。学校に生徒がお菓子を持ってくることを指導する教師側の心情が、ある意味で素直に吐露されている。
しかし、上の言葉には、2つの大きな思い違いがあるようにも思われる。ひとつは、お菓子を許せば、次にタバコの問題が起こると考えている点だ。お菓子が禁止されていない学校、たとえば大学等での光景を考えてみれば、「お菓子を許せば必然的にタバコの問題」が惹起(じゃっき)されるわけではないことは、誰でもわかるだろう。むしろ、お菓子とタバコの間にきちんと線引きできるような教育、節度を守ってお菓子をたしなむ教育を、教師は励行すべきではないか。
もうひとつの思い違いは、この学年主任が、世の意見が「お菓子について指導するな/指導はけしからん」というものだと考えている点だ。そうではない。指導の方法には〈説諭〉も〈懲戒〉もあるから、指導そのものが悪いというのではなく、要はどう指導するか――その指導のあり方が問われているのである。
その「どう指導するか」について、さきの「指導死シンポジウム」で興味深い報告があった。それは2002年3月22日、当時高校1年生だった西尾健司さんが、校長から「無期自宅謹慎」を言い渡された晩に自殺したケースだ。ほかの報告された事例は、教師の勘違いや、ささいな子どもの行動への“指導”で、人によっては「そもそも指導など不要」との意見も聞かれるところだ。しかし、健司さんの場合は、「定期テストでの不正行為」そして「喫煙」があった。これについては指導が必要なことは論を俟(ま)たない。では、どのような指導が望ましかったのか、シンポジウムでの、母親・裕美さんからの報告には多くの示唆が含まれている。以下は、その報告全文である。
◇◆◇ 母親にとって自慢の息子 ◇◆◇
兵庫県伊丹市から来ました、西尾裕美と申します。今から10年前、2002年に兵庫県立伊丹高1年だった長男・健司が、生徒指導を受けたその日の夜、自ら命を絶ちました。
3歳上に姉がいて、一つ違いの弟がいる3人兄弟の真ん中に生まれ、育った健司は、小さい時からとても素直で、誰にでも優しい子でした。わがままをいうことが無く、いつも兄弟で仲良く遊んでくれていたことは、そんな健司の性格のおかげだったと、いつも感謝していました。根気強くブロックやパズル等考えて一人で遊ぶことも得意で好きだったし、たくさんの友だちと外で遊ぶこともまた、とっても好きな、明るく、楽しい性格でした。誰からも愛され、慕われ、本当に名前の通り「健やかに」のびやかに育ってくれて、私にとっては自慢の子どもでした。
スポーツ万能で、小学校3年から厳しい少年野球チームではキャプテンとして頑張り、中学~高校でも野球を続けました。また、さして勉強しなくてもトップクラスの成績を取れるぐらい、理数系科目には優れた能力を持っていました。ただ、宿題のやり方がじゅうぶんではなかったり、授業態度で注意されたりと、先生方からは課題のある生徒にも映っていたようです。
◇◆◇ 高校1年 定期テストでの“事件” ◇◆◇
高校に入り、健司は「数学や化学の勉強が難しくなってきたが、それがまた面白い」と言い、友達づきあいも中学の頃とは違った友達ができて、とても楽しそうに話していました。親としても、高校生らしく頼もしくなった子どもの成長を喜んでいた矢先のこと、事件は起こりました。
12月の学期末定期試験で友達に答案を見せて欲しいと頼まれ、カンニングに協力したことが教師に見つかったのです。夕方に自宅に電話がかかって来て、母親の私と健司の2人で校長室に呼び出され、校長、学年部長、生徒指導部長、担任教師の4人から相次いで注意を受けた後、《自宅謹慎処分》を言い渡されました。その日から、生活は一変しました。一切の外出は禁止され、友だちとの電話も訪問も禁止、テレビを見ることも、もちろんゲームもしてはいけないと言われました。
毎日、一日の行動記録と反省文を書くことが義務づけられ、一日最低1度、日によっては2度も教師が家庭訪問にやってきました。家に来た教師から「伝統ある伊丹(いたみ)高校始まって以来の不祥事だ」「職員室は(試験のカンニングによる)衝撃で大きく揺らいでいる」という言葉に、カンニングに協力したことでここまで言われるのかと、とても驚きました。家族巻き込んでの不愉快な日々も6日経って、ようやく《自宅謹慎処分》が解除されましたが、その後も、全教師に謝罪に行って、教師から言われた言葉をノートに書いて提出すること、今後もずっと毎日日記をつけて、翌日に提出することを義務づけられました。
◇◆◇ まるで軍隊のような“指導” ◇◆◇
今までの授業態度を改めること、宿題はきちんとし、授業も真面目に受けるように言われ、さきの答案を見せるという行為でほとんどの教科が0点になった為、まじめに頑張る以外に進級できないというプレッシャーもかかりました。次第に健司らしくないイライラしたような様子を見せるようになり、弟にまで当たるようになりました。
物思いにふけるように夜空を見上げながら、ベランダでタバコを吸っているのを見かけましたが、高校生だし、そんなものだと思って「友だちを誘ったり、火事になったりしないように気をつけて。他の人に迷惑をかけるようなことはしないで」と注意して、半ば黙認していました。何となくいつもと様子が違うことを家族で心配しながらも、人一倍がまん強く、根性のある性格でもあり、家族と話している時はふだん通り楽しく過ごしてはいたので、今の学年が終わり担任が変われば何とかなるだろうと楽観的に考えていました。
「日記がやっと今日で終わると思ってたのに、春休みも書かなあかんねんて」
健司が亡くなる前日、学校から帰って健司は嫌そうにこう言いました。そして、その翌日の3月22日、終業式が終わって学校内でタバコを吸っているのが見つかり、また母、息子2人、学校に呼び出されました。前回もそうでしたが、校長室で健司は立たされたまま「1年1組16番 西尾健司です」と直立不動で名前を言います。まるで軍隊のようなそのやり方に、私は違和感を覚えました。重苦しい雰囲気の中で、以前とはまるで違うキツイ言葉が次々に投げかけられました。
「教師も両親も裏切った、人を裏切ることがどんなにひどいことかわかっているのか?」
「この学校へ君は何をしに来たんだ。少しぐらい頭が良くたってそれが何になるんだ」
「1年に2度も処分を受けるなんて県校始まって以来の不祥事だ。今度何かあったら、学校を辞めてもらう」
私にしてみたら「ほんとうによい子なのに」と思うと、たとえ反省すべき行動があったとはいえ、ここまで罵倒(ばとう)されることがとても悔しく、腹立たしく、…ついその場で涙ぐんでしまいました。健司にはそれがこたえたのか、後ろですすり泣いている音が聞こえていました。この時の私の涙が、逆に健司を苦しめたのではないかと今もずっと悔やんでいます。
◇◆◇ 校長からの《無期自宅謹慎処分》 ◇◆◇
校長から、冷たく「無期自宅謹慎処分を言い渡します」と告げられ、また、家族を巻き込んだ重苦しい日々が始まることになりました。8日後に家族や健司の親友とも一緒に行く予定だった北海道へのスキー旅行が行けるのか心配になって、担任に尋ねましたが「ダメです。健司君が悪いんですから」と言われました。
翌日にはお彼岸で大好きだった祖母のお墓参りのために実家へ行き、いとこたちと遊ぶ予定だったのも行けなくなってしまったこと、春休みに友だちとするはずだったアルバイトも校則違反だからできなくなってしまったこと等、自分がしてしまったことで、ことごとく友だちや家族、親せき、…みんなに迷惑や心配をかけてしまうことになってしまいました。
いつも控えめで、人に迷惑をかけることを一番嫌う、心から優しい健司は、高校生となり、私の身長を超え、弱いものをいたわる男性的な強い優しさとプライドも持つようになっていました。家でも、怒られるようなことをした時に、おじいさん、おばあさんは直接孫には怒らないで、常に嫁の私に叱りつけたりするのを健司はとても怒っていました。
「何で、いつもお母さんに怒るんや!文句があるんやったら、俺に言うたらいいのに…。それを言いたいけど、俺がそう言うたら、またお母さんに怒るやろと思うから、やめとくけど、ほんまにムカつくねんなあ」
そう言ってくれた言葉に、私は健司の深い優しさとすっかり成長した様子を、嬉しく、頼もしく感じていました。
校長から《無期自宅謹慎処分》を言い渡されたその夜、一緒にスキーに行く予定だった親友と健司はこんな会話を交わしました。
「俺、スキーには行けなくなってん。俺が行けんでも、圭(けい)ちゃんだけでも行ってな」
「何でやねん。健司が行けんかったら、意味ないやん」
その会話から数時間後、健司はその親友の住む12階建てマンションの屋上金網をよじのぼり、自らわずか16歳の命を絶ってしまいました。
◇◆◇ まったく検証されなかった“指導”の方法 ◇◆◇
健司の自殺後、私たちは親として反省することがたくさんあったと、自分たちのことを責めました。仲の良かった姉や弟も、そして多くの友だちさえも、それまで気づけなかったこと、自殺を防げなかったこと、至らない点があったことに思い至り、たくさんの反省をし、後悔をし、健司には何とか生きていて欲しかったと悔やみ続けました。
ところが、事故後2年間、多くの教師に、何とかこうした思いをわかってもらいたい、この痛ましいできごとを今後の教育に生かしてもらいたい、健司の死を決して無駄にして欲しくない――と訴え続けましたが、結局わかってくれたのは2人の教師に過ぎませんでした。
思春期の男の子の心理、そして教育的な効果――そういうことを考えることもせず、ただ規則を守らせるということを目標にして、子どもたちを怖がらせ、「周囲に迷惑をかけるから2度とするな!」というだけの、とても短絡的で封建的な指導方法。そういう“指導”を続けていれば、自殺者の出る危険性は無くならないばかりか、非行が潜行して状況が悪くなることもあり、決して子どもたちの成長にプラスには働かないと思うのです。
それよりも何よりも、健司が自殺してまずやって頂きたかったことは、教育者なら当然やるべきことであったはずのこと、つまり、何が原因で健司は命を絶ったのか、どう指導することが最善の教育方法だったのか、2度と同じことが起こらないようにする為にはどうすべきか――こうしたことを、健司の指導に関わった全教師が考えるべきではなかったかと思うのですが、健司に対してどのような指導がなされたのかという基本的なことさえ、学校内で保護者にもわかる形で検証されることはありませんでした。
子どもたちの成長に職責を担うはずの学校現場で、教師たちがひとりの生徒の命に向き合わないということが不思議でしたが、他の遺族と出会って話を聞くうち、これは、根本的な組織的な問題があることを知りました。
裁判をしても、文部科学省に行って訴え続けても、「教師の指導によって子どもたちが自殺に追いやられることがある」ということさえ認めないようでは、学校での指導のあり方について改まるはずがないと思います。
本日、関心を持って聴きに来て下さった、たくさんの皆さんに心から感謝を申し上げます。そして、是非ともこの【指導死】の問題について考えて頂き、世の中に広めて頂きたいと思います。私たちの事案を、子どもたちにとってのよりよい教育環境作りに生かして頂くことを心から願っています。
(了)
※報告には小見出しをつけ読みやすさから適宜表現を改めた。
〔付記〕
「教育を受ける権利」(憲26条)を保障された児童・生徒を学校に登校させない措置は、法定伝染病による出席停止(学校保健安全法19条)以外は、小中学生の場合は、性行不良による「出席停止」(学校教育法35条)、高校生の場合は「停学処分」しかない。
ところが、健司さんの場合、正規の手続きが面倒だと考え、「停学処分」が指導要録上に残ることを恐れた当時の学校長が、もともとそのような権限は無いのに、自分の独断で“自宅謹慎”を命じていたという。これは、生徒の人権(教育を受ける権利 他)を侵害する重大な法令違反行為である。
しかし、生徒は自分に非があると思って“指導”に従おうとする。校長や教師は何の内省や歯止めも無いままに“指導”をエスカレートさせる。その悲劇が、西尾健司さんの事例であった。