新しい報道のカタチ ―《第3の報道》の存在意義と今後への期待―
2013年12月に秘密保護法が成立したその月に、「市民ジャーナリズム」を標榜するニュースサイトが休刊することになったのは何かの因縁だろうか。そのJanJanBlogの休刊にあたり、いわゆる「市民ジャーナリズム」なるものの存在意義と今後の展望について、個人的な述懐も交えて考えてみたい。
◇◆◇ JanJanBlogで書き続けた理由 ◇◆◇
JanJanBlogの前身、「日本インターネット新聞(JanJan)」が2010年3月に休刊となった時、それを機に私はウェブ上から身を引こうと考えていた。「浦安・女児わいせつ事件」は高裁判決で原告は勝訴を勝ち取ることができたし、「葛飾ビラ配布事件」では最高裁小法廷でその判決を聞いていたからである。
しかし、それを考え直さざるを得ないようなできごとが起きた。「全国柔道事故被害者の会」の発足であった。名古屋大学大学院の内田良准教授の地道なデータ分析から、柔道での死亡事故の実態が明らかになり、柔道事故の被害者家族が全国組織を立ち上げたのである。
この一連のできごとが無ければ、私はこのJanJanBlogにここまで記事を書き続けていたかどうかはわからない。いくつか、JanJanから持ち越しの問題(例 埼玉県教員採用試験の漏洩問題や土肥信雄前校長の〈言論の自由〉をめぐる裁判、〈オリンパス裁判〉、etc)もあったから、そこで直ちに筆を折ったかはわからないが、JanJanBlogでのいくつかの柔道関連の記事は、JanJanの時よりも時間をかけて丹念に書いたものが少なくない。
それゆえJanJanBlogでの3年間というのは、私はひたすら、柔道事故で無念の死を遂げなければならなかった若い〈いのち〉を見ながら走って来たとも言える。検索すればわかるが、新たに立ち上げられたJanJanBlogへの第1号記事は、「全国柔道事故被害者の会」の現会長である村川義弘氏へのインタヴューであった。その当時、甥である村川康嗣(むらかわこうじ)さんの死去から1年が経っていない時期にも関わらず、会を立ち上げられた小林泰彦氏とともに、村川氏は会の活動を軌道に乗せるべく奔走されていた。この12月(2013年)には、同会主催で7回目のシンポジウムが開催され、改めて息子さんを亡くした村川弘美さんの訴えに接することができたのは、何かの縁と言うしかない。
今年10月に、朝日、読売、毎日…と大手メディアも取り上げた、神奈川県相模原市の中学柔道部を舞台にした暴力事件は、私が3年前に取材していた事件であった。個人的には、3年前にきちんと詰め切れなかったことを後悔するとともに、しかし、3年前の取材が発端としてあったからこそ、今年の大手メディアによる追及や柔道界の何がしかの改善に結果としてつながったと自らを慰めている。その意味で、後述する「市民ジャーナリズム」の意義を、身を以って実感した事例でもあった。
相原中学での暴力事件とともに忘れられないのが、東海大学相模高校での暴力事件だった。東海大学相模高校と言えば、オリンピック金メダリストの山下泰裕氏や井上康生氏を輩出した柔道の名門校である。その取材を進める過程で、大手新聞記者と直接会って話をする機会もあった。その記者は、記事にすることの難しさを口にしていた。取材対象が山下氏の母校であり、東海大学グループという大きな組織であることも、その一因のようであった。
その時に私の背中を押したのは、その直前に出会った柔道少年である。彼は、イガグリ頭の中学生で、「指導者の暴力」に関する私の質問に、何も答えることなくひとすじの涙を流した。その涙を見て、私はそういう声をあげられない弱い立場にいる子どもたちの代弁者になること、そういう弱い立場の子どもたちを痛めつける許し難い現実と「コトバ」を武器に闘うことが報道に携わる者の大切な職務のひとつであるとの感を強くした。
◇◆◇ 従来の新聞報道への疑問 ◇◆◇
「日本インターネット新聞(JanJan)」の時から、私は「浦安・女児わいせつ事件」など、おもに教育問題について記事を書いていた。当時から、私が感じていた新聞報道へ疑問というものがある。同時に、それは現在の私の「書く姿勢」にも関係している。
その疑問は、ごくふつうに新聞を開いて見れば容易にわかると思う。たとえば、ある裁判記事――「裁判所は、…原告の請求を棄却した」。大きな裁判はともかく、それ以外の裁判の場合は、ごく簡単に、〈裁判所目線〉で結果のみ伝えて記事は終わっている。
法廷に足を運べば、「事実」がそうではないことは一目瞭然だ。法廷には、きわめていい加減な判決に対する怒りや、判決にたどり着くまでの悲しみや苦しさややるせなさや…そういった諸々のことがうず巻いている。必ずしも、怒りだけではないし、悲しみだけでもない、しかし、とにかく、そういう人間の生々しい感情が目の前にあるのだ。
例えば、JanJanの時に取り上げた「浦安・女児わいせつ事件」とは、知的障がいを持つ、当時小学生だった女児が、こともあろうか、特別支援学級の男性担任から性的暴行を受けていたという痛ましい事件であった。その東京高裁での判決は、第1審をはるかに上回る賠償を認めたが、その判決を聞いて法廷内の女性弁護士は泣きはらして目を真っ赤にし、傍聴席でも支援者らが歓声をあげて抱き合って泣いていた。
そうした光景は「事実」ではないのか――? 「悲しみ、怒り、悶え苦しむ被害者の心のうちを書いたら、それは報道ではないのか?」というのが、私の基本的な疑問であった。あるいは、「切れば血の出る新聞記事」のようなものがあってもよいのではないか、単なる無機質な判決だけ結果として書くのではなく、判決にこぶしをふりあげて怒る弁護士やその場の人々の悲しみを伝えるべきではないのかという思いが、以前から私の中にはあった。
もちろん、そういうものは、いわゆるルポルタージュとして書けばよいという意見もあるだろう。しかし、私たちの目の前に流れる日々の生活というのは、ルポルタージュとして単行本にまとめるよりも速く流れていく。1年後、2年後にルポルタージュとして何かを刊行するよりも早く「いま」伝えなければいけないできごと(例 市井に暮らす人々の喜怒哀楽)もあるはずだと私は考える。
そういう意味では、「市民ジャーナリズム」なるものは、一般紙の報道とも近いし、ルポルタージュとも共通点がある。先行するそれらの中間に位置するという点で、「市民ジャーナリズム」は《第3の報道》とも呼び得るかもしれないと個人的には思っている(そして、その3者は、それぞれ存在意義がある)。
◇◆◇ 現在の個人的な関心事 ◇◆◇
人々の「心の中(うち)」は、今でも私の大きな関心事であるが、現在、私が伝えたいと考えているものは、次の2つに整理できる。
(1) 見えているのに見えていないもの
いまはどうかすると、映像ばやりである。「映像ジャーナリズム」とか「ビデオジャーナリスト」という言葉も聞く。それらの価値をじゅうぶんに理解しつつ、同時に、映像では映らないものも、この世にはあるのではないかと私は考える。
たとえば、今年(2013年11月)に、私は「迎賓館」に関する記事を書いた。単なる訪問記事ではなく、あの西洋風の、ラブホテルにも喩えられるような石の建築物には、明らかに「脱亜入欧」思想と言うか、西洋人コンプレックスと言うか、〈鹿鳴館根性〉がなりを潜めている。その日本人の貧相な根性を、あの国宝から私は見て取ったし、そういう気質をもっと目に見えるようにしたいと考えて、私はいささか妙な記事を書いた。
あの迎賓館の取材で、記事には書かなかったが、もうひとつ、私にとって気づかされたことがある。それは、権力を握る側は、かつて見られた〈士農工商〉にも似た身分制によって、いまも私たちを支配しようとしていることだ。
上の写真は、かつて明治憲法下で〈主権者〉が座っていた椅子である。それに対して、「ラブホテルふう国宝」を外観だけ〈主権者〉に見せるイベントで、前庭に無造作に置かれていたのは、錆びてツカレタ折り畳み製パイプ椅子であった。
つまり、それは…あの〈士農工商〉と同じ発想である。江戸時代の権力者は「あなたたちは、この社会において上から2番目に偉い人たちです」と持ち上げるが、その内実はまったく伴わずに、実際には農民たちは社会の下層で貧困に喘(あえ)いだが、その状況は、どうかすると憲法上は〈主権者〉になったはずの、いまの私たちの状況とあまり変わらない。
新しい憲法の下で、国民の一人ひとりが「主権者」として謳われているにもかかわらず、実際には、国会議事堂をヒューマンチェーンが包囲するといった秘密保護法に対する世論の大きさを無視して法案の強行採決がされている……、それを考えると、いまの〈主権者〉というのは、もしかしたら江戸時代の〈士農工商〉での農民以下の立場なのかもしれない(福島の「棄民」政策に、いまの安倍政権の本質がよく現れている)。
さらに、江戸時代には、〈士農工商〉の4番目に位置する商人らが大手を振っていたが、いまも「商人」と同じくゼニ勘定をする「財界人」らが、政治に色濃く影響を及ぼしている。
さきの原発事故で、東京電力の会長が報酬を半分カットして「3600万円」というニュースが報じられた。政府関係者からの「東電会長はそんなにもらっていたのか?」というコメントも流れた。つまり、東電の会長ともなると「月額600万円/年7200万円」をもらっていたわけである。
ところが、上には上がいた。さきのみずほ銀行での不祥事で、頭取は役員報酬半額カットの憂き目に遭ったが、実際には「憂き目」でも何でもなかったことがすぐに明らかになった。頭取の役員報酬額は月額に直すとおよそ「1000万円」、年間1億2000万円程度の報酬が6000万円の「半分」になったとしても、あの頭取は痛くも痒くもないのである。
「見えているのに見えていない」という意味では、最近、「指導死」の問題も私の大きな関心事である。子どもたちの自殺は、現象として「見えている」のに、その本質は「見えていない」ように思える。
その問題を考え続けていくことで、私は、最近になって、「指導死」というのが、実は「教師による、いじめ」問題であるという極めて簡単なことにようやく気づいた。社会においては「パワハラ」があり、社員が心因性の病気になり退職に追い込まれる――それは高等教育機関に於いて見られる「アカハラ」でも同じだ。小中学校の場合は、「いじめる側といじめられる側」の力関係が圧倒的に「いじめる側」優位で、且つ、「いじめられる側」は(小中学生の場合)「義務教育制度」に縛られて、サラリーマンや大学院生等のような「退職」とか「進路変更」はできない(わが子を“人質”に取られて保護者ですら意見が言えないことがある。さらには、PTAというとんでもない取り巻き連中が学校には生息していて、ワルサをしている)。そのような偏頗な状況下で、その「いじめる側」の教員が、国家賠償法という法律で守られるという奇妙な現状がある。これをどう打ち破っていくのかは、私自身に課せられた課題でもある。
(2) 公表されているのに報道されていないもの
「公表されているのに報道されていないもの」という意味では、法廷での被害者側の怒りや悲しみ等もその一例だが、最近、私がとみに「NHK報道」などを見ていて感じるのは、福島での子どもたちへの健康被害に関する報道だ。
そういう“偏向”報道に対抗できるのも、「市民ジャーナリズム」の強みだろう。むしろ、一般的には(1)よりも、(2)についての期待のほうが、「市民ジャーナリズム」には強いのではないかと思われる。
◇◆◇ 「市民ジャーナリズム」の存在意義 ◇◆◇
「市民ジャーナリズム」という言葉について、私も便宜上、この言葉を使うが、「市民」という言葉はすでに手垢にまみれていて、必ずしもよいニュアンスばかりではない。もし言うのなら「小市民ジャーナリズム」とか「市井報道」といった言葉にもひかれるし、最近では、「しがらみの無い」報道という意味で「しがないジャーナリズム」(略称:しがジャー)という言葉も気に入っている。
どういう呼び方をするにせよ、こうした《第3の報道》は、今後ますますその必要性を増していくと思われる。その存在意義について3点指摘しておく。
(1) 大地に蒔かれる種である
何かを伝える以上、およそ「客観・中立」の視点などあり得ないわけで、複数のメディアが存在することは、私たちの〈知る権利〉の観点からも望ましいことだ。
あるいは、そうしたいくつもの視点があることで、上に述べたように、NHKなどの“偏向”報道をうまく“中和”する役割を果たせるし、《第3の報道》という言い方を紹介したように、必ずしも「速報性」を大手メディアと競わない、ある部分では「ルポルタージュ」的要素もあわせ持った報道(ニュース)として、「市民ジャーナリズム」は今後ますます求められてくるだろう。
◇
特に、前述の「相原中学柔道部」に関する報道でわかったのは、市民ジャーナリズムというものは、「速報性」よりも、視点の深さと言うか、書き手独自の視点があって生きて来るということだ。そして、そういう強い主張のある独自の視点があることで、2年、3年経っても、その中身がある意味で古くならないし、過去から現在そして未来につなげて行くことができる。そういう意味では、「市民ジャーナリズム」というのは、種蒔く人にも似ているかもしれない。
むしろ、ある記事を書いてそれがすぐに反響を呼ぶことはまれである。しかし、大地に落ちた種子から芽が出るように、ひょんなきっかけから何かが立ち上がることがある。何粒もの種を蒔いているうちに書き手自身が問題の所在に気づいたり、遠くから予想外のリアクションが生まれたりする。
(2) 伝播する力を持つ
紙媒体による大手新聞の報道と比べて、たとえばJanJanBlogはかなり長い期間にわたって閲覧ができる。その記事が、ツイッターやフェイスブック等でどんどん伝えられていく力は無視できない。
具体的な数字を挙げれば、私が2013年12月に書いた「内部被曝の恐怖―深刻化する健康への影響―」という記事は、「Ceron」というニュースサイトによると700名弱の人がフェイスブックで「いいね」を押している。700人の人それぞれに20~30人程度の友だちがいれば、1~2万ぐらいの人が記事を読んでいると推測できる。2013年2月に書いた「そこまでやるかNHK」という記事は同じ「Ceron」のサイトによるとフェイスブックで3600人ぐらいが「いいね」を押していた。
但し、こういう数字はウェブ上ではまだ少ないほうだ。「ふくしま集団疎開裁判の会」の担当者に聞くと、同会のウェブサイトは多い時で海外からの分も含めて日に70万近くのアクセスがあったと聞く。また教育評論家の尾木直樹氏も「いじめ」問題で多い時はアクセスが100万を超えたこともあると話していた。いずれにせよ、ウェブ上での情報発信は、これまでの紙媒体には無い大きな力を持ち得るということだ。
(3) 過小評価してもらえる“強み”
これは書き方がむずかしいが、この手の「市民ジャーナリズム」というのは、ややもするとたとえば大企業からは「取るに足らない存在」のように映るらしい。たとえば、企業の裁判記事でも、大手紙に書かれるのとJanJanBlogで取り上げられるのとでは、書かれる側の反応は明らかに違う。
ところが、世間的にもまだ認知度の低いメディア(例 JanJanBlog)であっても、特定の人たちの間では、かなり読まれている場合がある。だから、ある問題を取り上げて書くと、それに関心のある人たちの間ではすぐに、そしてこっそりと記事の内容が知れ渡ったりもする。そういう意味では、「特定の情報を本当に必要としている人たちへの浸透力」は強いし、言わば、“相手方”にあまり知られること無く横の連帯が図れるのは意外な利点かもしれない。
ただ、一般の企業は「JanJanBlog」のようなニュースサイトを歯牙にもかけない節もあるが、例えば、原発関係などでは、いわゆる“敵対”する勢力はウェブ上での情報発信の影響力を熟知していて、その迅速で周到な反応に驚かされることが何回かあった。
◇◆◇ 今後に向けて ◇◆◇
「秘密保護法」のような法律が、主権者の意思を無視して強行採決される国、原発事故による健康被害が過小に語られる国――そうした国において、企業としての報道機関や「市民ジャーナリズム」のようなものが複数存在することの意義は大きい。
「市民ジャーナリズム」だけに絞っても、単一のニュースサイトがあるのではなく、また雨後のたけのこのように乱立するのでもなく、ある分野に強いいくつかの「市民ジャーナリズム」があることが望ましい。
たとえば、環境問題に詳しい「市民ジャーナリズム」、裁判関係に強い「市民ジャーナリズム」…あるいは教育問題に強い「市民ジャーナリズム」といったものがあり、一般の人たちは、大手紙も購読しながら、個々にそうした市民ジャーナリズムからの報道にもふれるという形だ。JanJanBlog以外にも既にいくつか特徴のある「市民ジャーナリズム」的なものがあるし、それぞれが刺激し合って、言わば切磋琢磨し合っていけば、私たちの〈知る権利〉を保障するインフラを形づくれると期待する。
「市民ジャーナリズム」は、大手でないからこそ、取材を受ける側も、心を開いて胸のうちを語ってくれることがある。原稿の締め切りも原稿の量についても制約が少ないのも利点だ。ある意味で落ち着いて自分のペースで対象と向き合うことが出来る。「より速く」ではなく、「より深く」、自分が関心を持つ対象に肉迫することで、誰でもよい記事が書けると思う。
そして、資金や資材が無くても、目を凝らせば、伝えるべきもの、伝えられることは私たちの身の回りにあふれている。「小市民」によるジャーナリズムは、巨大な権力や組織に対して「蟷螂(とうろう)の斧」にも喩えられる無力なものかと考える向きもあるかもしれない。しかし、実際はまったくそうではない。「雨だれ、石を穿つ」で、まちがいなく社会を変える力になる。
◇◆◇ 補遺 ―お詫びを兼ねて― ◇◆◇
「言葉を発せられない者の代弁者として、コトバを発する」という視点からすると、日比谷公会堂で聴いた大江健三郎氏の講演(2013年9月1日)はとても共感を覚えるものであった。
「相手からの、聞こえる言葉だけを理解するのではなく、相手が声に出さないものを聴き取る力が〈エサンシエル〉なことだ。だから、それを大切にしろ」
講演で紹介された『星の王子様』でのキツネが王子様に与える上の言葉や「死者がどのように生き、そしてどのような思いでいたのかを言葉にしてみる――そういう行為として、文学があります」という大江氏の言葉は、「文学」を「報道」に置き換えてみると、それはなるほど切実に感じられ、私自身思わずその場で姿勢を正したほどである。
ただ、そういう視点でものを書こうとする時に、悩みも無いわけではない。世の中には、その人にしかわからない怒りや悲しみというものがある。どう考えても、他の誰かでは代弁できない心のありよう――そのことを、私はわが子を自殺によって亡くされたご婦人から知らされた。
裁判での報告会で、その女性の発言を聞く機会は何回かあったのだが、ある時に、たまたま1対1で向き合って話を聞いた時に、そのひとみの奥の、それまでは遠くから中々気づくことの無かった悲しみの深さ(深い淵)に愕然としたことがある。
もちろん、「誰かの代弁者となる」ということは、まったく出来ないことではない。例えば、報道写真家の福島菊次郎さんがよい例だ。
菊次郎さんは、原爆症に苦しむ中村杉松さん一家を知り、「自分の姿を写真に残すことで仇をとってほしい」と頼まれて、中村さんのことを撮り始める。――「撮り始める」と言っても、実際にシャッターを押せるようになるのに、菊次郎さんは中村さんと知り合ってから2年近くかかっている。当時、菊次郎さんはまだプロのカメラマンにはなっていなかったが、「仇をとってほしい」という願いに応えるために、菊次郎さんはそれから10年間にわたって中村さんを撮り続ける。10年で撮影が終わったのは、たまたま中村さんが亡くなったからで、その後、菊次郎さん自身、精神に変調をきたしたという。
学校関係者がわりあい気安く口にする「子どもの心に寄り添う」といった言葉を聞くたびに、私はあのご婦人の悲しみを湛(たた)えた黒い瞳と、そして菊次郎さんの10年以上にわたる苦闘を思い出す。
それから、当サイトで紹介すべく、話を聞かせて頂きながら、紹介し切れなかった人たちがいる。たとえば、毎週金曜日に、国会近くで忌野清志郎の歌を流し続けている平川さんご夫妻だ。平川さんご夫妻は2012年7月から、今の場所とは違う場所で静かに清志郎の歌を流されていた。いろいろと興味深い話をうかがっていたのだが、秘密保護法などのこともあり、時間切れになってしまった。金曜日の清志郎エリア近くには、毎週、「ゲリラカフェ」を出しているお嬢さんたちもいるし、ぜひ多くの人たちにあの場を訪れてもらい、平川さんや「ゲリラカフェ」の女性たちと言葉を交わしてもらえたら…と思っている。
来年以降も多くの人が《第3の報道》に関心を持ち、それが社会を変えていく原動力になることを切に願う。
(了)
《 備 考 》
幸い、成瀬裕史記者が「《JanJan》の灯は消えない!!」との宣言の下、代替ニュースサイトを立ち上げた。誰にも開かれているニュースサイトらしいので、まずは「A4用紙1枚、写真1枚」から、まだ記事を書いたことのない人も、年明けから、ペンを武器に、社会の問題に切り込んでみることをお勧めしたい。1本の記事が、何年後かに大きなうねりへと変わるかもしれない――。