「子どもたちの自殺」 ~アンケートによる〈いじめ〉の隠し方~
「13年連続で年間自殺者が3万人を超える」――こういうニュースに隠れて忘れられがちなのが、子どもたちの自殺の数である。
統計によれば(注1)、2003(平成15)年から2007(平成19)年までの小・中・高校生の自殺者数は138人→126人→103人→171人→158人と推移している。5年間の平均は139人、つまり過去5年間でひと月平均10人以上の子どもたちが自ら命を絶っている計算になる。
(注1)「生徒指導上の諸問題の推移とこれからの生徒指導」(平成21年版 国立教育政策研究所生徒指導研究センター)による
夏休みが終わっての新学期、相次ぐ子どもたちの自殺について報告したのが、現在、「北本中学校いじめ自殺裁判」で、愛娘の自殺(2005年10月11日)をめぐって埼玉県北本市と文部科学省を相手取って裁判を起こしている中井さん夫妻だ。
「8月30日には、姫路で高校1年生が踏み切りに飛び込み、札幌では中学2年生が飛び降りで亡くなっています。9月1日には、葛飾区で女子中学生がやはり飛び降りで亡くなりました。9月2日には東京の国立で高校1年生が、5日には大阪の平野で中3の女子生徒が自殺しています。
昨年の9月も同じような傾向でした。新学期が近づくと、子どもたちの自殺も増えるのです。滝川事件も9月、私の娘の場合は10月11日でした。子どもたちの相次ぐ自殺が、毎年の…決まったような現象になっています」
9月8日の裁判報告会で、あいさつに立った中井紳二さんは、冒頭に新学期が近づくと増える子どもたちの自殺にやりきれない表情を浮かべた。
中井さんのやりきれなさの矛先は、文部科学省と現場の学校関係者に向けられる。
「これだけの子どもたちの死を前にして、文部科学省は何を思っているのでしょうか。早急の対策が、子どもたちを死なせないための対策が必要なはずなのに、文部科学省は〈通知〉を出せば、もうあとは終わりです。」
「本当に〈通知〉の内容が実施されているのか――、目で見て、耳で聞いて、現場の状況を確かめて改善して行かなければ、子どもたちの死はなくなりません。〈通知〉を出して、あとは“安全圏”に逃げ込んでしまうようのが、文部科学省のやり方のように思えます。」
「佑美が自殺してから、学校の動きはまったく知らされませんでした。学校は何も対応してくれないのです。学校でいったい何があったのかもわからない…、娘の名誉も回復されない。学校で何があったのかを知りたくて、裁判(注:2007年2月提訴)に訴えたのです――」
9月8日の裁判でも、証人尋問に立った宮尾主幹兼指導主事らは、主尋問(北本市側からの質問)では、「アンケートでも、いじめの事実はくみ取れなかった」と証言していたが、反対尋問で中井さん側の弁護士から具体的事実を突きつけられると、苦しまぎれの答弁に終始した。
その「いじめの事実はくみ取れない」「いじめの事実は無かった」――こうしたコメントは、子どもたちの自殺があるたびに、学校や教育委員会関係者らから聞かれる言葉であるが、今回の裁判報告会では、その「いじめ」の事実を隠ぺいする、見事なからくりが紹介された。
――肝心な点は、「生徒の自殺を受けて、本校では、いじめの有無などについて全校生徒にアンケートを行いましたが、そうした事実は出て来ませんでした」と学校長などが言う時に、実際にはどのようにアンケートが行われているのかということだ。
佑美さんが在籍していた北本中学校の場合、名称は〈いじめ調査アンケート〉ではなく「生活アンケート」、実施した時期は、佑美さんの〈自殺直後〉ではなく「約2週間後」、「口頭で祐美さんのことについて担任から説明はした」と学校は説明しながら、生徒からの聞き取りによれば「自殺にふれるような説明は一切無い」状態で、次の5項目に答えるものであった(アンケート用紙はA4サイズ、1枚のみ)。
〔質問1〕いま学校に来るのは楽しいですか。楽しくないという人は、その理由も聞かせてください。
〔質問2〕学校で何か心配なことはありますか。ある人は、どんなことか聞かせてください。
〔質問3〕学校以外で何か心配なことはありますか。ある人は、どんなことか聞かせてください。
〔質問4〕自分の将来や勉強のことで、心配なことはありますか。ある人は、どんなことか聞かせてください。
〔質問5〕いま先生に話しておきたいことがありますか。
この〔質問1〕から〔質問5〕の「生活アンケート」を、口頭での何の補足説明も無い状態で、それも生徒の自殺から約2週間後の実施で、自殺した生徒に関する「いじめの有無」などわかろうはずもない。
裁判の証言台に立つ学校関係者は「いじめを前提としたアンケートはできない」という趣旨のことをしきりに言うが、たとえば、記者は次のような質問を試案として考えるが、これは「いじめを前提とした、かたよったアンケート」であろうか――。
〔質問1〕文部科学省は「いじめ」を「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と定義しています。本校では、文部科学省が定義するような〈いじめ〉はあると思いますか。
〔質問2〕上の質問で「はい」と答えた人にお聞きします。本校にあると考える〈いじめ〉の存在をあなたはどのようにして知りましたか。また、その時期はいつですか。
ア 実際に「いじめ」の場面を見たことがある。
イ 目撃した友だちから「いじめ」の状況を聞いたことがある
ウ 「いじめ」を受けている人から、直接話を聞いたり相談を受けたりした。
エ 私自身、現在いじめを受けている
オ 私自身、過去においていじめを受けたことがある
〔質問3〕最初の質問で「はい」と答えた人にお聞きします。その〈いじめ〉は、現在も進行中ですか。あるいは、学校の先生などに相談して現在は収まっていますか。あなたが知っていることや、考えることを自由に書いてください。
〔質問4〕本校の生徒(中学○年)が○月○日に亡くなりました。このことについて、何か思い当たること、学校の先生に伝えておいた方がよいと思われることはありますか。
記者は、以前、〈指導死〉の事例として、日光東中学を訪ねたことがある(→《関連記事》【1】参照)。そこでの諏訪文敏校長の言葉――「指導に当たった教員には、きちんと聞き取りをして、教育委員会にも報告書をあげています。全校集会をひらいて、保護者にも説明をして、ご理解を頂いています」――を紹介して、〈いじめ〉や〈自殺〉などの学校にとっての不祥事が、いかに巧妙に隠されるかを指摘した(注2)。今回の北本中学での「生活アンケート」でも、「生活アンケートは〈いじめ〉隠しの方法」(児玉弁護士)、「やることをやったように見せかけているだけ」(関谷弁護士)と批判されても仕方のない代物であることは、誰の目にも明らかだろう。
(注2)「指導死」とは、大貫隆志氏による造語である。
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今後、このような隠ぺいをさせないために何が必要だろうか。
(1) 事実の迅速な公表
学校関係者は、「ご遺族の意向」を楯に、自分たちに都合の悪い事実を隠そうとする。たとえば、北本中学校のケースでは「遺族から、〈遺書〉という言い方はしないで欲しいと言われた」と、事実とは異なることがまことしやかに流布され、そこから、いつのまにか「〈遺書〉は無かった」とまで学校関係者が言い出す始末だ。
遺族の意向として学校が尊重すべきは、「名前を公表するか、しないか」という点である。
しかし、「児童生徒による自殺があった」という事実の公表と、名前の公表とは、質(次元)が異なる。当該学校に在籍する児童・生徒が自ら命を絶つということは大変なことであり、そういう事実をあえて伏せておくことは、その子自身の〈死〉を軽んじることに他ならず、同時に、在校生や保護者の〈知る権利〉も侵していることを学校関係者は知るべきだ。
(2) 情報の共有
学校長は、教育委員会には「書面」で報告書をあげ、保護者には平日の夜などに1回だけ「説明会」と称するものを行なって、あとから「保護者のみなさんにも説明会でじゅうぶんに説明してご理解頂きました」と保護者への説明責任を果たしたかのように装うことがある。(→《関連記事》【4】参照)
しかも、「個人のプライバシ―」を理由に教育委員会宛ての事故報告書はおもてに出さず、且つ、おもてに出ないことをいいことに自分たちに都合のいいことを書き連ね、自殺の本当の原因はうやむやのままにされてしまう(注:現在の小中高生の自殺の約6割は「原因不明」で処理されている)。
それをさせないために、個人のプライバシーには配慮した上で(例 被害者の氏名不開示)、教育委員会宛ての書面は、いつでも希望する保護者は閲覧できることにする(注3)。
(注3)ジェントルハートプロジェクトでは、「事故報告書」に遺族の側も意見を書き込めるような欄を設けることも提言している。
(3)さらなる情報の共有
教育行政では、「地域や家庭との連携」、「ひらかれた学校」等の理念だけは打ち出すが、それらの理念は「絵に描いた餅」であることが多い。たとえば、次年度の入学予定者向けの説明会などで、希望すれば、前年度の「事故報告書」等が学校の窓口ですべて閲覧できるような制度も、「〈知る権利〉の保障」、「隠ぺい体質の改善」、「事故の風化防止」といった観点から、今後検討されてよいだろう。
(4)「アンケート形式」の一本化
「いじめ」の定義について、文部科学省は公表しているが、例えば「いじめによる自殺」が起きた場合に、個々の事実関係の解明の仕方は、各自治体や学校に任されている。したがって、その学校の校長自身が「いじめ」の存在を隠し通そうと思えば、上記のように「いじめの事実は確認できなかった」というようなアンケート結果を得ることぐらい何の難しさもない。
したがって、「いじめ」の定義を1本化するとともに、「いじめによる自殺」などが起きた時の原因究明の指針(ガイドライン)作りも急ぐべきである。
特に、事故が起きてから何日以内に、どのような質問事項のアンケートを実施し、そのアンケート原本やアンケート等をもとに作成される教育委員会宛ての「事故報告書」を希望する保護者らが閲覧でき(て異を唱えられ)る制度作りが必要である。
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8日の裁判報告会では、中井さんに続いて、同じように子どもを自殺で亡くした遺族が意見を述べた。
「親は、子どもの自殺した時に、何が学校であったのか、知りたいのです。ただ〈何が起きていたのか〉だけを知りたいのです。ほかの子どもたちに、そのことを聞きたいのです。息子の場合も、学校の中でいじめが起きていました。
いじめは日常的に起きているのです。子どもたちは誰がやられているかも知っています。そして、先生が見て見ぬふりをしていることもわかっているのです」
(近藤さん)
「うちの子の場合は、遺書があり、4名の加害者の名前が書いてありました。学校関係者は、どうして本当のことを言ってくれないのか…、誰も裁判を起こしたいと考えている遺族は居ないはずです。」
(篠原さん)
「事実を知ることが、本当にむずかしいです。娘には言えなかった次のことを同じ世代の女の子たちに言いたいと思います…、自ら命を絶つぐらいだったら、それほど学校に行くのが辛いのであれば、わざわざ学校に行くことはありません」
(Nさん)
「今日の裁判での尋問を聞いて、教育委員会は何があったのかを調べたくないのだと感じました。残された子どもたちへのケアももちろん大事だが、そういうことを口実に事実を隠そうとするのはやめて欲しい。気遣うべきは、まずは亡くなった子どもに対してであるべきで、それには事実関係をはっきりさせることが何より必要なはずです。
こういう裁判などは、先の見えない、しんどい仕事ですが、残された親の務めと思い、支援などをさせてもらっています。」
(井田さん)
「裁判を傍聴していると、事実を明らかにしないための方法をことさら選んでいるように感じます。
残された者は、自分の子どもに何があったのかを知ることで、子どもの〈死〉を受け止められるのです。重大な事実を隠される、調べようとしない――というのは、遺族にとってはさらなる被害の体験・つみ重ねであり、遺族に対する加害行為としてとらえてもよいものなのです。」
(大貫さん)
「13年前に1人娘を自殺で亡くしました。何年たっても、子どもたちの自殺に関する状況は変わっていません。
自分の子どもは戻って来ませんが、せめて、次の時代には子どもたちを死に至らしめるようなことをなくしたいと思います。
今日の尋問を聞いて、『できることをしない』ということは、子どもたちの命を守ろうとする気がないと言われても仕方ないと思いました」
(小森さん)
来月の10月11日は、佑美さんが亡くなって6年目、7回忌の命日である。
「まわりは大学1年生になって、また少しずつ新しいこともわかって来ました」――父親の紳二さんは、今も佑美さんの同級生のもとを訪ね、6年前の「あの時」に学校で何が起きていたのか、聞き取りを続けている。
(了)
《裁判日程》
次回、中井夫妻が本人尋問として法廷で証言する。
◎10月20日(木)午前10時00分~ (終了は午後の予定)
◎東京地裁 第103号法廷(定員約100名、毎回ほぼ満席ですので傍聴希望者はお早めに)