追い詰められて「死」に至る子どもたち ~【指導死】への提言~
かつて「セクハラ」という言葉が出始めた頃、その言葉によって、自分の感じる不快感について、納得がいった女性も多かったのではないだろうか。単に上司は自分の体型をほめているだけなのに、その言い方を非常に不快に感じる――ストレスを溜め、ひどい場合には精神障害を負うような事例も聞くが、まだ「セクハラ」が周知されていなかった時代には、女性たちは自分たちの置かれた状況について、強く訴えるすべが無かった。しかし、「セクハラ」という言葉のおかげで、自分は上司から「ほめられている」のではなく実は「性的いやがらせを受けている」ということがはっきりして来たのである。
いま【指導死】というまだ一般には聞きなれない言葉(キーワード)を使って、教育現場のいくつかの事件・事故をとらえ直すことを提言している人物がいる。都内在住の大貫隆志さんだ。
大貫さん自身、次男陵平君(当時13歳 埼玉県新座市立新座第二中学校在学)を2000年9月30日に飛び降り自殺によって亡くしている。亡くなる前日、陵平君をはじめ多くの生徒が、学校で「あめをなめていた」という理由から、約1時間半にわたって12人の教員から“指導”を受けていた。“指導”では、反省文を書くように命じられ、その内容も具体的に指示されていたという。その翌日、まだ中学2年生という早過ぎる死であった。
大貫さんは言う。
――学校での“指導”がらみの事件・事故で、学校関係者からは「指導に行き過ぎは無かった」といったコメントが繰り返されています。しかし、過度に心理的圧迫が加えられたり、教師の言動で個人の尊厳が傷つけられたりするような状況から、子どもたちが突発的に死へと追い立てられる可能性があるということを、“指導”に当たる教員は知るべきです。
子どもは、例えば授業に関係ないもの(例 あめ、マンガ本)を持って来て、そのことで教師から“指導”を受ける場合、どうしても「負い目」がある。素直な子どもであればあるほど、罪悪感で強く苛(さいな)まれることもあるだろう。教師は、どのような態度で、子どもたちに接すればよいのだろうか?
――もちろん、教師は子どもたちを指導する立場にあります。しかし、教師は学校の中では子どもたちに対して絶対的な強者の立場にあるのです。ですから、「指導」は必要だと思いますが、同時に「子どもの心理状態に対する教育的配慮やケア」もされるべきです。
大貫氏が提唱する【指導死】とは、表向きは、子ども自らが命を絶つという現象ながら、その直前に教師からの長時間の事情聴取や叱責などがあり、その結果として子どもが「死」へと追い詰められるというものだ〔注1〕。
それでは、今年2月に、中2男子生徒が、教師から“指導”を受けている中で「親を学校へ呼ぶ」と言われてから、学校を抜け出して死亡した日光市立東中学校のケースはどうなのだろうか。
――まず、一般論として、教員の指導が原因となるあるいはそれをきっかけとした自殺「指導死」では、「長時間の指導」、「複数教員による指導」、「部活動や学校行事の停止・中止(あるいはその示唆)等、ほかの生徒に影響を及ぼす指導」、「親の呼び出し」、「反省文指導」、「学年集会での決意表明」などが行われているケースが多いです。
日光市立東中学校のケースでも、持ち物についての指導が生徒指導主事、学年主任、学級担任らにより、16時頃から約30分続いています。指導時間が長い、軽微なルール違反に対して「複数教員による長時間の指導」が行われる「指導死」の特徴のひとつとして挙げられますが、日光東中学の場合も、指導内容が適切であったのか、きちんとした検証が必要でしょう。
たとえば、30分間の指導の間に、教員らは親を呼び出すことを生徒に告げ、生徒は「親は呼ばないでほしい」と頼んでいます。諏訪校長は、記者会見で「深い反省を促すため、問題があれば両親に来校させる。」と発言しています。まさに生徒は、自らを深く反省し生きるに値しないとまで思い詰めたのだと思われます。
もう一つ、日光市立東中学校の場合に注目されるのは、“指導”があって、何日かあとに生徒が自殺するというのではなく、まさに「指導中」に、生徒が死に至っているという点だ。大貫さんは、その点についても問題点を指摘する。
――指導を終えた16時30分以降、教員らは男子生徒ひとりを相談室に残しています。この状態がいかに危険かを教師が自覚していない点が問題です。2004年に長崎市の市立小島中学校で、安達雄大くん(中学2年生、当時14歳)が、指導途中にトイレに行くと言って校舎4階の手洗い場の窓から飛び降り自殺した事件をはじめ、複数のケースで指導中に生徒が一人になった際に自殺しているのです〔注2〕。
――「反省を促そうと談話室に一人残した」との報道もあります。文字通りに理解すれば、相談室に一人残される状態が、「反省を促す環境」であることを教師らが自覚していたことになります。生徒を心理的に圧迫する状態に放置し、反省を促そうとした、しかし、生徒は一人になった20分後に教室を出ています。父親に会うことがつらかったのかもしれないし、あるいは自らを恥じたのかもしれない。いずれにせよ、指導開始からの50分間でで、男子生徒は死を決意したはずなのです。
大貫さんたちは2008年頃から、実質的に〈指導死・親の会〉を立ち上げ、学校現場での適正な指導のあり方を研究したり、「指導死」に関する啓蒙活動を行なっているという。
「【指導死】で亡くなる子どもたちが増えないように、微力ながらがんばっているのですが、ちっとも減らない。それが悔しいです。」――大貫さんは、そう言って唇を噛んだ。
(了)
※東中学再訪記事へ ⇒ http://www.janjanblog.com/archives/34424
〔注1〕 大貫さんは【指導死】を次のように定義づける。
(1) 一般に「指導」と理解されている教員の行為によって、子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められて自殺すること。
(2) 指導方法として妥当性を欠くと思われるものでも、その学校でよく行われる行為であれば「指導」ととらえる。(例 些細な行為による停学、連帯責任、長時間の事情聴取・事実確認 など)
(3) 自殺の原因が「指導そのもの」や「指導をきっかけとした」ものと想定できるもの。(指導から自殺までの時間が短い場合や、他の要因を見いだすことがきわめて困難なもの)
特に理解して欲しいこととして、大貫さんは次のことを言い添えた。
「たとえ指1本ふれなくても、教師の言動などによって子どもが死に追いやられることがあるということです」
〔注2〕 安達雄大君の場合、所持していた物について、担任は「両親が知ったら悲しむだろう」「これから家庭訪問に行こう」と告げている。その45分後、「トイレに行きたい」と言って指導中の部屋から出た雄大君は、校舎4階から身を投げた。この時も、小島中学校校長は、自殺当日に「行き過ぎた指導は無かった」と発言している。
〔注3〕 後日改めて取材に応じて欲しい旨を告げると、諏訪校長は、次のように答えて取材を断わった。
「A社の取材に応じると、その結果、A社にはあることを伝えて、ほかのB社、C社には伝えないことが出て来る。それによって不公平が生じるので、これ以降、取材には応じられない」
それでは、東中学校アイスホッケー部が全国大会で優勝したことについて、あるメディアが取材を申し込んだ時、諏訪校長は同じことを言って、取材を断わるのだろうか?
学校長は、公教育の担い手として「説明責任」を負っている。校長のプライベートに関して取材を受けたのならまだしも、学校でのできごとに対しては、つまらない屁理屈を弄して口を閉ざそうとするのは、フェアではないだろう。
さらに、今回の事故(事件)について校外で生徒から話を聞くことは構わないのかを尋ねると、諏訪校長は次のように答えた。「生徒たちの心のケアをするべくスクールカウンセラーの人たちが心を砕いて、ようやく今生徒たちも落ち着いてきたところだ。心無い質問によって、また生徒たちがフラッシュバックのような形で傷ついては困るので、取材は控えてほしい」
実際に、スクールカウンセラーがどの程度のケアをして来たのかも含めて、後日確かめてみたいところである。
〈関連サイト〉
◎ 「13歳の絶望 陵平はなぜ死を選んだのか」