大分県:剣道部顧問による暴行致死事件(2)私たちの意識改革を!
大分県立竹田高校剣道部の主将だった工藤剣太さん(当時17歳)が、2009年8月22日に顧問教諭から暴行を受け搬送先病院で死亡した事件。剣太さんの両親が提起した裁判で、大分地裁は「原告勝訴」とも言うべき判決(2010年3月)を下したが、原告である両親は、暴力を振るった当事者の責任が問われないのは納得できないとして、福岡高裁に控訴した。「国家賠償法」が障壁となって、教師個人の責任が問われないという現状には、全国から批判の声が集まっている。
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この事件では、報道によっては「熱中症による死亡事故」といった報じられ方をするが、当時の事情をよく知る保護者等から話を聞くと、剣太さんを死に至らしめた顧問教諭の暴力体質が根本にあることがわかる。
剣道部の顧問、S 教諭は関西の体育大学出身、剣道7段、事件当時46歳であった。同教諭は、前任校の舞鶴高校から2009年4月に竹田高校に異動となり、その4ケ月後に今回の暴行致死事件を起こしている。
当時高校2年生で主将を務める剣太さんは、S 教諭が異動後、繰り返し「メンタルが弱い」「おまえみたいなのは見たことがない」と罵倒されていたという(注1)。
(注1) 剣太さんの事件を放送したテレビ番組では、剣太さんたちがS 教諭から「歩けなくなるまで稽古しろ」と言われ、事件前日に剣太さんがS 教諭のところに、ある報告に行くと「どうやって、ここまで来た?歩いてきた?歩けなくなるまで稽古しろと言っただろう?」と言葉を返された事実を紹介している。これは、まるでヤクザが因縁をつけるに等しい言動ではないだろうか。
事故の年に竹田高校剣道部に在籍していた部員のある保護者によると、剣道部員はS 教諭から、防具の無いところを故意に叩かれたり、S 教諭の罵倒が始まると複数の問いが言わば支離滅裂に羅列され、S 教諭が何に怒っているのか、(その罵倒に対して)どう答えればよいのか、わからないこともあったりしたという。
「剣道部の稽古はS 先生が異動して来てからは“やらされている剣道”だったようです。S 先生が望むようなことをしないと怒られる。今から思えば、完全な“部活の私物化”でした。生徒のための部活動ではなく…“先生が有名になるための部活動”だったように思います」
部活動の私物化、“指導者”が有名になるために生徒が試合での結果を出すことが求められる――これは、バスケ部員が顧問の暴力から自殺した大阪市立桜宮高校やその他の“強豪校”に共通する特徴である。
教育現場で、子どもたちの「いのち」が失われたり、心身が傷つけられたりするのを何としても防ぐために、私たちもいくつかの点で意識を変えていく必要があるのではないだろうか――?
【1】 その暴力行為等がいつから始まっていたのか?
大阪市立桜宮高校バスケ部顧問による暴力、あるいはこの9月4日に報道された天理大学柔道部内での暴力事件(注:今回問題とされている暴力行為は2013年5~7月のできごとである)でも共通することだが、そういった行為が表に出ると、おもてに出た単一の暴力行為だけで、当該人物が処分されて“幕引き”となることが多い。
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竹田高校のS教諭の場合も、前任校では剣道部員を引き倒して手の甲を踏みつけたり、道場の壁に部員を叩きつけたりするようなことがあったと聞く。そのために、部員らは生傷が絶えず、ある部員は朝、学校まで来ると吐き気に襲われるようになり、結局部活動を辞めることになった。
前任校での度重なる暴力行為に、ある保護者は県教委に何度もかけあったという――。
○ S 教諭に剣道部の指導をさせないでほしい
○ S 教諭の指導を、きちんと“監視”してほしい
○ 子どもたちとS 教諭だけにさせないでほしい
しかし、そうした悲鳴にも近い保護者からの声も、真摯に聞かれることはなかった。その保護者は一部で「モンスターペアレント(クレーマー)」扱いされることになり、さらに、その保護者にはこう告げられたという――「お母さん、安心してください。S 教諭は竹田高校にやりますから」
クレームが来たら、事実関係について精査することなく、異動を繰り返して問題を見えなくするというのが学校現場での“常套手段”だが、大分県でもその方法が採られてS 教諭の暴力行為は表沙汰になることは無かった。そして、異動から4ケ月後、剣太さんがその犠牲となってしまった。
私たちは、学校現場での暴力行為等(その他、教師による「わいせつ行為」、「いじめ」問題)を見聞きした時に、ごく短い期間での当該行為の有無だけを判定するのではなく、一連の/類似した行為〔暴力行為/わいせつ行為/いじめetc〕がいったい何時から始まっていたのか、そして、そのような行為がどうして外部に伝わらなかったのかということまで、しっかりと検証する必要がある。
【2】 「体罰」と「暴力」の区別を!
世間では、教師による「叩く/蹴る」といった行為(有形力の行使)が一律「体罰」という言葉で括(くく)られやすい。しかし、「体罰」とは、懲戒行為(学校教育法11条)の“行き過ぎたもの”を言うのであって、そもそも懲戒を加えられる理由の無い子どもたちに加えられる暴力を「体罰」と表記するのは適切ではない。むしろ、授業でも部活動でも、教師の〈暴力〉を〈体罰〉と表記することで、問題の本質が見えなくなるおそれが多分にある。学校現場での教師個人の責任を追及していく上でも、私たち自身が〈暴力〉と〈体罰〉とをきちんと区別して考えなければいけない。
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「叩く/蹴る/腕をねじ上げる/つかむ/突き飛ばす」といった有形力の行使は、次の3種類に区別することが適切だ。
(1) 緊急避難、正当防衛、職務行為としての「有形力の行使」
たとえば、ある児童生徒が他の児童生徒に対して加害行為をしようとする時に、やむを得ずしてそれを防ぐために有形力を用いるような場合、つまり法律上の「緊急避難」に当てはまる時には、たとえその有形力の行使によって児童生徒が肉体的苦痛を感じたとしても、それは「体罰」ではない。同様に、児童生徒からの暴力行為を教師自らが防ぐために行う有形力の行使も、「正当防衛」として認められている(注2)。
(注2) 「なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずしてした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずしてした有形力の行使についても、同様に体罰には当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる」(2007.2.5 文部科学省「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」通知添付の〔別紙〕より)
さらに、他の児童生徒の「教育を受ける権利」(憲23条)を守るために、ある生徒を授業中に教室外に出す行為も、正当な職務行為としてであれば、やむを得ずして有形力を用いた結果、当該児童生徒が肉体的苦痛を感じたとしても、その行為はそもそも懲戒行為ではないので「体罰」にはなり得ない。
(2) 懲戒行為としての「有形力の行使」
では、懲戒行為(注:簡単に言えば「しかる」行為)として、教師は有形力(例 叩く)を用いることは許されていないのか。答えは〈No〉、上記「2007.2.5文部科学省『問題行動を起こす児童生徒に対する指導について』通知」に従えば、同じ「叩く」行為であっても肉体的苦痛の有無によって、文部科学省は扱いを違えている。
「教員等は、児童生徒への指導に当たり、いかなる場合においても、…(略)…肉体的苦痛を与える懲戒である体罰を行ってはならない」
「その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する」
「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく…(以下略)」
「有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児童生徒に肉体的苦痛を与えるものではない限り、通常体罰には当たらない(三上注:以下に居残りや起立の例が挙げられている)」
こうした記述は、児童生徒(やその保護者)が、教師の些細な行動(例 懲戒の場面で励ましや注意喚起のために肩口を叩く行為)をとらえて「体罰」と騒ぎ立てないようにするための予防線でもある。「懲戒行為」であり、同時にその行為が「肉体的苦痛」を伴うという2つの条件を満たして、はじめて、その行為は「体罰」となる。
(3) 腹イセ、八つ当たりとしての「有形力の行使」
世間では、教師が児童生徒に対して肉体的苦痛を伴う叩き方をした場合に、それをすぐに「体罰」と称する風潮がある。たとえば、さきの大阪市立桜宮高校での顧問による暴力でバスケ部員が自殺したケースでも、その行為を「体罰」と表記するマスコミは多かった。
しかし、上の(2)で述べた通り、ある行為が「体罰」と言えるためには、「教育上必要」(学教法11条)と認められるだけの(懲戒の)事由が児童生徒の側に無くてはならない。
同じ「肉体的苦痛を伴う有形力の行使」でも
○ 児童生徒に懲戒を受けるに値する非があって、叩かれる場合 と
○ 児童生徒に何ら非が無いのに、教師の精神的な未熟さが原因で叩かれる場合
とを同列に論じることには無理がある。後者は、簡単に言えば、〈腹イセ〉〈八つ当たり〉〈うさ晴らし〉の類いであり、これは、教師本来の職務ではない。
【3】 公務か、それとも勤務時間中の“私的犯罪”か?
国家賠償法は第1条で「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」として、公務員個人の責任が問われないというのが、これまでの判例であった。
この立法趣旨は、(1)公務員個人に賠償責任を負わされると、公務の執行に各公務員が消極的になってしまい、それは公権力の行使として好ましいことではないから (2)公務員個人に責任を認めると、それに相応する賠償能力が個人に無い場合に、被害者への補償が十分にされないことが出て来るから、というものである。
たとえば、教師が学校行事で児童生徒を引率中に過失から怪我をさせてしまったような場合が、公権力の行使(公務)である。では、次のような場合は、「公務」と言えるだろうか?
例1 小学校教師が、休日に校外で女子中学生にわいせつ行為をした場合
例2 小学校教師が、勤務中に校内で在校生にわいせつ行為をした場合
例1は、休日の校外での行為であるから当然公務ではない。これは刑法犯罪として処罰されて当然である。それに対して、例2は「教員」という身分を悪用して、勤務時間中にわいせつ行為に及んでいる。それを考慮すれば、例2について、例1よりも厳しく罰することが、正義の理念にかなっている。学校内では、子どもたちは〈教師-生徒〉という身分関係のもとで、一般社会でよりも、教師の言動には異を唱えにくく(=抵抗しにくく)、そういう身分関係を利用してわいせつ行為を行なうという行為は悪質だからである。 ――それでは、次のケースはどうだろう。
例3 高校教員が、休日に校外で腹イセに他校の生徒を殴る行為
例4 高校教員が、部活中に部員を腹イセに殴る行為
例2、例4のような〈わいせつ行為〉〈暴力行為〉は、それらが行なわれた場所が“学校内”であったとしても、断じて「公務」ではない。むしろ、勤務時間中に、本来の公務を忘れて私的感情(欲望)のままに一般社会では決して許されない行為に走っている、しかも一定の身分関係を利用して、相手が「抵抗しにくい」状況にあることを知りつつ、当該行為に及んでいる点で、例2、例4のようなケースに国家賠償法を適用するのは誤りである。
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以上、大分県での剣道部顧問の暴行致死事件について考察を加えた。さらに〈指導死〉の事例も含め、今後、教師個人の責任を追及していく際に、私たちは次のような区別をしていく必要がある。
(1) 公務中の、学校教育法11条に基づく「懲戒」行為
(2) 公務中の、学校教育法11条から逸脱する「体罰」行為
(3) 本来は「懲戒」事案に当たらない、勤務時間中の「暴力」行為
(4) 公務中の、学校教育法11条から逸脱する「指導死」につながる行為
(5) 本来は「懲戒」事案に当たらない、勤務時間中の「指導死」につながる行為
この中で、「肉体的苦痛」を伴うのは(2)(3)で、(2)は「宿題を忘れて来た生徒を竹刀で叩く」ような行為、(3)は「練習試合でミスをした生徒を竹刀で叩く」ような行為である。ともに〈竹刀で叩く〉点は同じだが、練習試合でミスをするのは上達のために誰もが通ることで、懲戒を受ける事案ではない。したがって、(2)は「体罰」だが、(3)は「教師個人の八つ当たり(暴力)」である。
生徒に何らかの非があったとしても、生徒に本来は必要の無い「精神的苦痛」を与えて、自死に至らしめるのが(4)、「練習試合でミスをした生徒」を罵倒して精神的苦痛を与えるような(5)のケースは、(3)と同じく「教師の腹イセ、八つ当たり」である。
この5つの分類で、国家賠償法が保護するのは、(1)の正当な職務行為での「故意または過失から生じた損害」についてであり、(2)(4)については、まずは教師個人の責任が問われ、国・公共団体は2次的に賠償責任を負うべきだ。さらに(3)は民法上の不法行為責任ではなく刑事責任を、(5)は「セクハラ」「パワハラ」と同様の、言わば「アカハラ」(注:アカデミックハラスメント。これまでは大学の指導教官から大学院生等への罵詈雑言が一般的であった)の新しい形として、その被害から子どもたちを守っていくべきだろう。絶対的な身分関係の中で、子どもたちは中々声をあげられない。まず、私たちおとなが、彼らのよき代弁者でありたい。
(続く)
《参考1/大分地裁 結審に当たって 剣太さん母親の陳述》
意 見 陳 述
平成24年12月20日
このたびは、結審の場で意見陳述書を読ませていただける事を感謝致します。最愛の息子・剣太を亡くしてから裁判を決意し、これまでこの裁判に立ち合い感じたことを、母の思いとして述べさせていただきます。
息子・剣太を身ごもった時から、この子の幸せを願ってきました。その息子が変わり果てた姿で私の手元に帰って来た日から、私たち家族の生活は一変しました。みなさんは、文章でしか「剣太の死に際」を知らないでしょう。私は、病院に運ばれた約1時間後からこの子の死に立ち合いました。親ならば代わってあげたいほど苦しみ、最後は目も閉じず亡くなっていきました。
亡くなった翌日、司法解剖を終えやっと私の元へ帰って来た剣太は、顔が黒く変色し、強い腐敗臭までしていました。私は「剣くん…お家に帰ろうね…」と言いながら霊柩車に乗せられ冷たくなった息子を家まで抱いて帰りました。
剣太をこんな目に遭わせた人間を私は絶対に許しません! しかし、法でしか闘いようがないのです。法がなければ絶対に仇討をしています! 私たちはこの裁判のゆくえを見守ることを決意しました。
裁判が進むにつれ、顧問・副顧問の大人げない言い訳に腹立たしさと、このような教員に教育を受ける子ども達がいることの恐ろしさを感じました。剣太は亡くなった当日、決して歯向かうことが出来ない顧問に対し「もう無理です!」と命乞いをしました。それは、どれだけ勇気がいったことか。しかし、顧問と副顧問は、その命の言葉を聞き入れることはありませんでした。しかも、その言葉を無視するだけではなく、フラつく剣太に「演技をするな!」と蹴りを入れ、「気付け」と称してビンタを与え続けました。
そんな腹いせのような時間があったなら、もっと早く救急車を呼ぶべきだったはずです。もし、まだ自分で発声できていたこの時点で休憩をとっていてくれたら、病院に連れて行ってくれていたら命まで落とす事はなかったのではないかと思っています。なぜなら、剣太は最後、水を飲み込む事も自力で立ち上がる事もできず、意識さえなくしてしまっていたからです。その場に二人もの 大人がいたにも関わらず!!
私は、このおふたりにお聞きしたいです!
「Sさん。白目を剥(む)いてガタガタと痙攣(けいれん)し、目の前で意識を失っているのが わが子なら手を肩の上まで振り上げて歯を食いしばり『演技するな!そげん演技せんでいいぞ』と何発もビンタができますか?」
「Wさん。顧問が『W先生、これは演技じゃけん心配せんでいい』と殴られていたのがあなたのお子さんなら、その光景を『私はあまり部活に出ていないから』と我が子が殴られる姿をじっと見ていられますか?」
人の子だから、ただの生徒だから、あなた方は平然とそんな行動がとれたんです!
これまで、剣道の試合で素晴らしい成績を収めたとか、素晴らしい指導をされたとか何人かの陳述書を出されても、私たちが見極めたいのは平成21年8月22日に、剣道場で何が起きたのか!ということです。
剣太に何を強(し)いて、どのような暴力があり、剣太はどうして命まで落とさなければならなかったのか!ということを、もっと直視して下さい。「調査委員会による『調査報告書』を読んでいない」などという言葉が通るとでも思っているのですか? あり得ない言葉です。
Sさん。顧問として責任を持って指導されている人間であれば、調査報告書を読んで原因の追及をして当然ではないですか? 核心をすり替えて逃げるばかりではなく、教育者として、社会人として人間としてきちんと向き合ってほしいと思います。
Wさん。剣道部の副顧問であるならば、「副顧問だから…」「剣道が5段だから…」「意見を言える立場ではないから…」と言い訳を並べず、顧問とどのような確執があろうと人命を優先するのが教育者であり社会人ではないですか? その場にいなかったのなら仕方がありませんが、武道場の中で一緒に練習に参加していた事実は消せないのですから! 私は、そう思います。
あとにわかった話の一つに、「剣太は死後4時間経った時点で、なお体内の体温が40.5度だった」という報告がありました。あなたたちは、いったい剣太にどれだけのことをしたのですか! 剣太は内臓が煮えてしまっていたんですよ!
顧問は、尋問の際、剣太が意識をなくす直前の様子について、「おかしいと思わなかった」「しっかり打っていた。口調もはっきりしていた」竹刀を落として拾えなかったことに対しては「わざとしていると思った」と言っています。
自己防衛にもほどがあります!! その場にいた部員たちは早くから剣太の異常に気づいていました。部員の証言の中で、竹刀を落とした時「絶対におかしいぞ!」と思った。一人で打ち込みをさせられていた時「もういっぱいいっぱいの感じでした」 同じく一人で打ち込みをしている途中の剣太の様子を「だんだんおかしくて、体力がなくなってきて、何回か膝まずいたり、座ったりして、その時みんなで起こしてやっていた」と言っています。救急車を呼ぶ前の剣太の様子に関しては「目が開いてたけど白目なんですよ。白目で目が全然普通じゃなくて、死んだ目みたいにしてて…」と言い、その時の顧問と副顧問の様子について「先生達も慌ててなくて、普通だった」と言っています。
普通に考えてみてください。人として、まして教育者の目の前に白目を剥いてそれも子どもたちが見ても明らかに死んだような目をしている人間が倒れていて、普通にしていられますか! この状態から20分して救急車を要請したようです。剣太は、この数時間後に人生の幕を引かなければならなくなったのですよ!
この裁判であなた方は、国家賠償法という法律により守られていると知りました。今回提出された被告・坂本からの準備書面の中にこのような事が書かれてありました。
「公務員個人に対して被害者は直接請求できない。被害者たる他人は充分な賠償能力のある国または公共団体を相手方として賠償を求めることによって完全に経済的満足を得ることができる。たんに被害者が公務員個人の行為の道義性を問題とし、被害者の私的感情の満足ないし報復の充足をはかる以外なんらの実益も期待できない」
「バカにするのもいい加減にしろ!!」と言いたいです!
私は、ある方に「民事裁判は賠償金でしか争うことはできない。子どもを殺された親には金などどうでもいいこと。我が子を金で換算などできるはずがない。しかし、この闘いは賠償金の1円が相手の罪の重さなんだよ」と言われたことがあります。
ですから、これだけのことをした2人に罪の重さとして賠償をしてほしいと思います。学校の中で教師と生徒間に起きた、絶対服従の中の暴力や暴言は許されるのですか? これだけ犯罪的なことを公務員がしてもなお、国家賠償法は国民ではなく、公務員を守るのでしょうか、犯罪的なことまで守るのが国家賠償法でしょうか!
逃げ出すことすら選べず、真面目に2人の先生の言うことに従い続け、亡くなっていったこの子は死に損ですか? そんなわが子を思うと、胸が締めつけられ、気が狂いそうになります。もし、その時間に戻れるのなら、その場に行って剣太を抱きしめてやりたい。私がどれだけ殴られてもいいから剣太の上に覆(おお)いかぶさり守りたかった。こうなる前に、救急車を呼んであげたかった! 身体を張って息子を守ることができなかったことが、母親として無念でなりません。
私達は、二十歳になった剣太を想像することしかできません。きっと救命救急士になってオレンジのツナギを着て、きびきびと訓練する姿はかっこいいだろうな…とその姿を目に浮かべ涙を流すことしかできません。来年の成人式にスーツを買ってやることもできません。あの時、もっとちゃんとした対応をしてくれていたら、剣太は死なずに済んだのです。病気でも何でもなく、部活をする為に学校へ行っただけなのですから。
「剣くん!お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。また、お母さんの子どもで生まれてきてね…次はもっと長く一緒にいてよ」その言葉をかけた時には、もう剣太の心臓は止まっていました。
どうか、この子の命の重さをわかってください。この事件で奪われたのは尊い剣太の命だけではありません。この子を愛して止まなかった家族や友人たちの心にも深い傷を負わせてしまったのです。
17歳の子が、自分の「死」を覚悟する気力さえ失くし、倒れた無念さを思うと、私たちは未だ「死」が頭をよぎるほどの絶望感に襲われます。顧問・副顧問は、これから先の人生に夢を持ち真面目に生きた剣太の命を17年で止めてしまいました。しかし、彼らはこのことの重大さを直視する事なく、剣太は勝手に死んでいったかのような言い方しかしませんでした。私はこの死亡事件をただの過失ではかたづけたくありません。学校で一人の人間の一生を台無しにした事の重大さをもっと重視していただきたいと思います。
《参考2/福岡高裁 控訴に当たって 剣太さん母親の陳述》
意 見 陳 述
平成25年7月17日
この度は、私にこのような機会を与えてくださったことに感謝致します。息子・剣太が亡くなり今年で4度目の夏がきました。
夏の暑さ、入道雲、蝉の声…夕方、ヒグラシが鳴きはじめると、明日になればこの子の亡き骸に火を点けなければならない…この子がこの世から消えてしまう…。当時の何とも言えず息苦しいやり場のない悲しみが未だ押し寄せます。
今、連日のようにテレビで「熱中症には充分気をつけましょう!」「こまめに水分・塩分を補給しましょう!」と熱中症への警告をしています。実際、ビックリするような数の方々が熱中症を発症し病院に搬送され、そして毎日のように死者も出ています。
気温36度の室内でTシャツと短パンで1時間以上立っていてもつらいでしょう。これが分厚い道着を着て、風を通さない胴と垂れを体に巻き、面まで着け…1時間以上も激しい打ち込みを強要され、その上、水分も与えず休憩さえもらえないとなればどうなるのか! …殺人行為としか思えません。
保健体育の教員である顧問Sは熱中症の講習を受けていたにも関わらず、ふらつく剣太に「演技をするな!」と言い、蹴りをいれたり、パイプ椅子を投げつけ威嚇(いかく)したりしました。部員の証言でも何度も倒れ部員が引っ張り起こしてやらせていたというのに、顧問Sと副顧問Wは、これを見ても何の危機感も持ちませんでした。
剣太は、自分の命の危険を「もう、無理です」という言葉で意思表示したのに、それでもなお厳しい練習は続けられたのです。熱中症でも重度の熱射病を発症し竹刀を持っていないのに持っているかのように構えたりする行動をとり、ハッキリ意識障害が出ていたのに!
あげく倒れてしまった剣太に対し、助けるどころか馬乗りになり「演技をするな!そげん演技はせんでいい!俺は熱中症の人間を何人も見ている。お前は熱中症じゃない!」と言い、額(ひたい)の血が吹き飛ぶほどの往復ビンタを繰り返しました。
ここまでの話でもこれが教育者のすることとは到底思えません。そばに来た副顧問に対し「先生!心配せんでいい。これは演技じゃけん!」と言いながら歯を食いしばり手を肩の上まで振り上げ往復ビンタを繰り返しました。副顧問は「普段からこんな感じかな…」とそれを止めずに黙って見ていました。
これに対し、大分地裁はこの2人に息子を死に至らしめた過失を認めました。しかし、どうしてこんな教育者を国家賠償法という法律で守らなければならないのですか? 私のような素人には全く理解ができないのです。
もし、剣太が熱中症を発症した時点で早期に救護措置が取られ病院へ搬送したり、充分に処置がなされたにも関わらず、命を落としてしまったのなら、私たちは国家賠償法の適用があっても控訴することはなかったでしょう。
しかし、何度も命を救える場面があったのに剣太の命の言葉さえ無視し、さらに暴力まで使い練習を続行させました。剣太は重度の熱射病にまで発展したにも関わらず、暴力と暴言でなかなか救急車さえ呼ばなかったこの大人2人を国の法律で守る意味がわかりません!
「公務員」だからですか? もう、そのような言葉で国民が納得する時代ではないでしょう。学校教育の一貫である部活動中、瀕死(ひんし)の状態で痙攣し白目を剥いて倒れている部員に馬乗りになり「演技をするな!目を開けろ!」と往復ビンタを繰り返すなど教育者のすることですか? 学校外では暴行です! 公務員は就業中であれば、生徒が死に至っても何事もなかったかのように責任も問われず普通に仕事に就けるのですか?
日本にはもっと守られるべき人達がたくさんいると思います。このような教育者をお願いですから法で守らないでください。息子を死に至らしめたこの2人に責任を負わせてください。この子の夢と一生を潰(つぶ)してしまった教育者と呼ばれる人間に、わが子剣太の一生分の責任を負わせてください。そうでもしない限り、同じことは繰り返されます! 教育の現場で、おぞましい行為が繰り返されます!
私たちは、この思いに賛同して下さる方々の署名を集めることにしました。みなさんお一人お一人にわかってもらえるよう説明文を付け、直接お話ができる方には自分たちで説明をしました。
皆さんが言われた言葉で最も多かったのは「許せない!どうしてこんな人間が守られるの?」という言葉でした。同じ年頃の子を持つ親たちは涙して下さる方も多くいました。みなさん、この裁判に関心を持たれています。
どうか、この2人を国家賠償法で守らないでください!
今回、顧問側から提出された「準備書面」を読ませていただきました。読み進めるたび、あまりの酷(ひど)さに胸が苦しくなり何日もかけ少しずつ読みました。病院での悲惨な状況がとても軽減して書かれています。いくら言葉のマジックを使い、さも病状が軽かったような書き方をしても私たちが見た死に際の息子の姿、その事実は決して消せません。
このような責任感のかけらも感じられない公務員が放置されるという非常識を、国家賠償法の「常識」にしないでください。どうか、よろしくお願い致します。
《 備 考 》
◎ 「剣太の会 in 東京」
〔日時〕2013年9月7日(土) 13:30~15:30(開場13:00)
〔会場〕人権ライブラリー(港区芝大門2-10-12 KDX芝大門ビル4F)
講演内容等、詳細はこちら